招き猫を置いても、科学的に運が上がるわけではない。熊手を買っても、商売繁盛を保証するものは何もない。それでも人は、神棚を設け、お守りを持ち、縁起物に手を合わせる——なぜなのか。
民俗学者の島村恭則氏(以下、島村氏)は、関西学院大学社会学部の学部長、教授として、縁起物や都市伝説、現代の俗信、民間信仰を長年研究してきた。
NHKテキスト『開運!神秘の力 縁起物』や『眠れなくなるほど面白い、図解民俗学』などを通じて、「見えないものへの欲求」が文化として結晶してきた過程を、学問の言葉で解き明かしてきた研究者だ。
第1章:そもそも民俗学とは?

民俗学の入り口は「民の俗」という二文字にある。「民」は人々、「俗」は教科書や法律に書かれた公式の文化だけでなく、庶民の日常に根ざした非公式な側面までをひっくるめたものだ。
シンプルに、一度この定義に折り畳むと、縁起物も、妖怪も、祭りも、都市伝説も、学問の対象として全てがきれいに収まってくる。
例えば、祇園祭のような大きな祭り。これは、国や京都市が主催しているわけではない。
それでも外から見ると「公式の行事」のように見えている。山鉾や屋台が何のためにあるのかなど、祭りにやってくる一般の参加者の多くは「祭りの意味」を具体的に説明できないまま楽しんでいる。それでいい。
ただ、民俗学はそうした「説明の余白」を、文化として正面から扱う学問だ。
縁起物も同じだ。「縁起物を置いたから金運が上がるという、科学的な根拠はない」と知りながらもつい置いてしまう。科学が説明しきれないところに、人間らしい文化が宿っている。
では、その文化は本当に非合理なだけのものだったのか——島村氏はここで、少し意外な見方を提示する。
例えば、妖怪っていくつもの種類に分類されているわけですよ。山の中であったら天狗とか、海にいるのは海坊主といったように。単純に非合理的なものだったら、名前をつけてまで分類とかする必要ってないじゃないですか。当時の人たちなりの(法則性を見つけようとする)頑張った結果なんですよ。
つまり、妖怪や縁起物は、当時の人たちが世界を理解しようとした「科学の試み」だった。山の天気予報も、経験則から法則性を見出した「当時の科学」だ。
数値として実証できたものは後に「科学」として切り離され、できなかったものは「民俗学」として残った——縁起物は、いわば「科学になれなかった科学」の系譜にある。
なぜ現代になって民俗学は大きく注目され始めているのか
「民俗学は物語やコンテンツと実は近しいものなんですよ」と島村氏は言う。
なぜ今、民俗学とコンテンツが近しい場所に位置しているのか。
島村氏の説明は、まず「考察文化」を例として始まる。
ゲームとかホラーとか、ネット怪談とか、みんな考察するのが大好きじゃないですか。答え合わせみたいな。その考察するときって、情報として材料が欲しいですよね。
確かに、考察するには材料が要る。ホラーの世界観、アニメの設定、異世界転生もの——そうした「この世とは違う何か」を作り込んだコンテンツを考察しようとすると、自然と「その手前にある現実の民俗」が参照されるようになる。
特に島村氏が例として挙げたのが、『転生』だ。
転生とか、昔からあるんですよ。昔の人はコンテンツとしてじゃなくて、みんな転生するとリアルで思ってた。
『転生したらスライムだった件』や『かぐや姫』——こうした物語の骨格は、昔の人々が「死んだらどうなるか」を本気で考えていた民俗の世界観そのものだ。コンテンツとして楽しまれている「異世界」は、民俗学が扱ってきた「あの世」「この世」の概念と本質的に重なる。
さらに島村氏は「リミナルスペース」(Liminal Space)という概念も例に挙げた。普段は賑わっている大きな地下鉄の駅で、改札へ向かう途中の、ただ通り過ぎるだけの通路。店もなく広告しかない、そこに立ち止まる人は誰もいない。「この(何もない静かで不気味な)場所から出られなくなるんじゃないか」という恐怖感を、ゲーム『8番出口』は見事に遊びにした。
リミナルって、もともと『間』って意味なんですよ。こっちの世界の賑やかさでもない、目的である出入り口でもない、ただの廊下みたいな間の空間が、人間はなぜかすごい不安になる。この真理をよくついてるゲームなんですよ。
そしてこれは、現代特有の感覚ではない。昔の人も同じ恐怖を知っていた。
昔、東北地方のある地域で、海から馬に魚を積んで夜に山越えをして市場に向かうとき、夜中に真っ暗な山道を行く——「自分たちの普段生活している海の町でもなければ、山を越えた先にある町の市場でもない。ただの真っ暗な山道。薄気味の悪いこの山道から別世界に行ってしまうんじゃないか」と。
リミナルスペースの恐怖は、ゲームが発明したものではなく、人類がずっと身体で知っていた感覚だ。
つまり、こうして見えてくるのは、民俗学が単なる「昔の話」ではないという事実だ。
昔の人が自分たちで作り上げた「世界設定」(世界観)が大きく影響している。
歴史学なら「誰々が何をした」という出来事単位の話になる。社会学なら「現代の生きづらさ・社会現象」を対象にして向かっていく。しかし民俗学は、古来より人々が暮らす上で生まれた感情に焦点を大きく当てている。
その際に見いだされる世界観のあり方が、ゲームや小説のような「作り込まれた世界観」と、構造的に近い。
考察好きの人も、ただコンテンツとして面白いものを読みたい人も、入れる扉がある——それが今の民俗学の立ち位置だ、と島村氏は語る。
第2章:葬儀から熊手、そして芸能人まで——「見えない不安」を社会はどう扱ってきたか

なぜ人は縁起物に手を合わせるのか。その根っこを探ると、最終的に「不安」という言葉に行き着く。
例えば、『死』をそのまま処理すれば、単純に仮葬場直行で終わる。しかし人間は、名残惜しさや記憶の整理のために儀式を重ねる。四十九日、お盆——そうした時間の設計は、悲しみを社会のなかで段階づけするための文化で、グリーフケアとも近い発想だ。
「見えない感情」を可視化し、共有の文化に乗せる。
この扱いにくい「不安」が、同じように商売や起業の世界にある。
「例えば、会社を起こすと神棚など急に欲しくなる人、多いんですよ」と島村氏は語る。
大阪の生駒山の宝山寺は、その典型的な例だ。独立して商売を始めた人が山を登り、お札を受け取ってオフィスに神棚を設ける。そして月に一度の参拝が習慣になる。「水商売でも、深夜に店を閉めたあと、ワゴン車にスタッフ全員が乗り込んで寺に向かう行列ができることもある」——見えない不安を、場所とモノと儀式に預ける行為は、葬儀と、同じ一本の線でつながっている。
また、東京の酉の市では熊手を買い、関西では福笹を飾る。本来なら数千円のお守りで済むところを、商売人は五万円、十万円と払い、毎年大きくしていく。「そんなことしなくていいのに」というのが、まさに縁起担ぎだ。昔の話で言うと、江戸の浮世絵にも、実際に笹や熊手を買って喜ぶ姿が描かれている。
合理的な説明はできなくても、心が落ち着く。
江戸時代も現代もそれは、本来の欲求として変わらないのかもしれない。
蛇の抜け殻はなぜ「金運が上がる」になるのか——弁才天をめぐる神話
こうした縁起物の背後には、複雑な意味の連鎖が折り畳まれている。
島村氏が例として語ってくれた「蛇の抜け殻を持てば金持ちになれる」という言い伝えは、一見すると単なる迷信に見える。
しかし民俗学の目でほどくと、そこには語られるだけの物語が出てくる。
まず蛇は、水辺にいる生き物だ。だから日本では水の神として祀られてきた。一方、インドのヒンズー教では、水の神様を「弁才天」という女神として描いてきた。
水はせせらぎを連想させ、せせらぎは水の音がする。これが音ってことは、「弁才天」は音の神様。水の神は音の神でもあって、音の神は音楽の神だ。音楽の神、つまり芸能の神様。だから芸能人って弁才天にお参りに行くのが多いんですよ。
そして江戸時代、人々はこの「才」という字を「財」に読み替えた。「ザイ=財産」のザイに。「弁才天が弁財天になって、水の神・音の神でありながら財の神でもある、という話になった」と島村氏は語る。
弁財天の頭の上にヘビが乗ってるんですよ。ヘビは水の神。水の神つながりで、ヘビは、弁財天の使わしめになった。それから、ヘビは脱皮する。脱皮は再生や長生きの象徴でもある。おめでたい。「財」+「再生」ということで、ヘビの抜け殻は強力なパワーを持ったお守りになった。もちろん持てば金持ちになれる、というわけです。
ここに至るまでの経路——蛇・水・弁「才」天・(水の)音・音楽・芸能・弁「財」天・財産、そして脱皮・再生——歴史の流れを解説すると多くの時間がかかる。しかし日常でこれを多くの時間をかけて説明する人はいない。「蛇の抜け殻を持てば金持ちになれる」という一句に圧縮して、渡す。
この「圧縮」こそが、縁起物が庶民のあいだで長く生き続けてきた理由だ、と島村氏は言う。
これがまさに直感なんですよ。直感的なパッケージになってることがすごいわけ。民俗学という学問は、学問なので論理的にやる。だからこの直感のパッケージを解凍していく作業が必要なんです。
芸能人が弁財天に詣でるのも、蛇の抜け殻が財布に入っているのも、その背後にある意味の連鎖を知っているわけではない。でも「そういうものだから」という感覚で我々は行動できる。
このパッケージ性こそが、縁起物の強さなのかもしれない。
第3章:人間の脳と縁起物が生まれる構造

この直感や縁起物の構造について、どこから来るのかを理解するには、脳の構造を見ると分かりやすい、と島村氏は語る。
人間の脳は、大きく三つの層に分かれており、一番中心の「脳幹」は、本能の部屋だ。お腹が空いた、眠い——そういう一次的な反応が脳幹から来る。その外側が「大脳辺縁系」。そして一番外側が、人間がチンパンジーと最も大きく異なる「大脳新皮質」だ。
大脳辺縁系は「直感」の座で、行動経済学ではシステム1(ファスト思考)と呼ばれる。大脳新皮質は「理性」の座で、システム2(スロー思考)に対応する。ゆっくり考えて論理を組み立てるのがシステム2、素早く直感的に判断するのがシステム1だ。
暗闇に何かの気配がある、と感じたとき。システム2でゆっくり考えていたら(昔は)ライオンに食われちゃう。間違ってもいいから直感で(気配を察すると)逃げると判断する——それがシステム1なんですよ。
そもそも、間違うくらいに警戒していた敏感な過敏すぎるくらいの人たちだけが生き残り、遺伝を繰り返した。「それの子孫なんですよ、我々は」。
そしてここが民俗学の核心とつながる。縁起物は、まさにシステム1のための文化だ。
招き猫を置けば金持ちになる、この蛇の抜け殻を持てば金運が上がる——なぜかは問わない。「そういうものだから」という直感のパッケージとして機能する。理由を問い始めたら、弁才天の話のように多くの時間が始まる。普通はそんなことを考えない。直感でパッと受け取って、手を合わせる。
一方、民俗学という学問はシステム2でそのパッケージを解凍していく作業だ。直感と学者の論理——この二つは、縁起物を通じて同じ対象を、正反対の方向から眺めている。
縁起物を飾るのは、生活の中にちょっとだけ直感を混ぜる、という行為。それって民俗学的には、すごく健全なバランスなんですよ。
第4章:招き猫の起源——霊が宿った人形と、土地によって変わる意味、海外への広がり、これからの可能性

招き猫の起源はひとつに絞れない。今戸の説と豪徳寺の説、はたまた別の地域か、どこが先かは確定できない。島村氏は「それぞれが発祥地として語っている、というくらいの態度でよい」と語る。
中でも一例として、今戸焼きの招き猫に関する文献に残る説話を以下の通り丁寧に語ってくれた。
浅草寺の境内で今戸焼を売る夫婦が可愛がっていた猫が、知り合いの家の小鳥を食べてしまった。夫人は、その家に謝りに行くが、夫人が帰ると猫はいなくなり、そのショックで夫人は寝込む。今戸の職人仲間が、いなくなった猫の代わりに土で猫の人形を作って贈ると、夫人の夢に猫が現れ、実は申し訳なさから井戸に身を投げたのだという。そして、これからは自分の代わりに猫の人形が夫人の守りをするといって消えた。次の日には夫人が元気になった——という筋書きだ。
この話が、猫の人形に霊が宿ったかのように語られ、近所で猫の人形の貸し借りが広まり、一個では足りなくなって複製が始まったとされている。他の地域ではどのように言われているのか。
同じ形でも意味は変わる——招き猫の地域差
招き猫は、全国どこでも「商売繁盛」の縁起物として見られがちだ。しかし土地ごとに文脈は違う。
江戸では、商いの街で生まれた縁起物として、商売繁盛の象徴として育った。一方、群馬や福島などの養蚕地帯では、ネズミ除けと蚕の守り神という側面が強かった。
形は似ていても、その土地の生業と結びついた「意味」が異なる。民俗学の面白さの一つは、同じ形をしていても、土地によってまったく違う文脈で使われてきたことを明らかにするところにある。
常滑(愛知)、瀬戸(愛知)、今戸(東京)、豪徳寺(東京)——招き猫の産地も複数あり、それぞれに独自の様式がある。色の意味も地域と時代によって解釈が異なる。
どれが「正しい」招き猫なのかを問うのではなく、それぞれがどういう土地と人の文化の中で育ったかを見ていくのが、民俗学的なアプローチだ。
中国に渡り、欧米に渡り——招き猫が世界を巡る
招き猫を中国の飲食店で見かけることは多い。手が自動で動く金ピカのものも含め、アジア各地に広まっている。これらの多くは日本から輸入されたというより、現地で生産・流通しているものだ。どうやら、中国内でも「日本のものらしい」という認識はあるようだが、すでに現地の文化に溶け込んでいる。
欧米や韓国でも、招き猫は観光土産やインテリアとして好まれる。しかし島村氏が特に注目するのは、招き猫ではないが、狐の置物の土産物としての消費を超えた一部の受け取り方だ。
ヨーロッパでは、京都の伏見稲荷に来た人が狐の置物を買って帰って、自宅に鳥居みたいなものを置いてSNSに載せるんですよ。どうやって祀ればいいかわからないけど、とりあえず祀ってみた、みたいな。
ブードゥ人形、イーヴィルアイ(魔除けの青い目玉)など、もともとアフリカや中東の民間信仰で用いられる呪物が欧米で受け入れられているのに似ている。「なんとなく効き目があるんじゃないか」という感覚を、日本のモノに対して持つ人が、日本人以外にも確かに一定数いる。
また、招き猫はその日本文化として象徴になりうる存在だ、と島村氏は語る。
御朱印あつめとの相乗効果——縁起物市場のこれから
国内に目を向けると、御朱印あつめの広がりが縁起物市場と連動しているのではないか、という興味深い仮説があった。
御朱印あつめが普及して以来、神社仏閣に行くのに慣れてきたというか。不要不急だけど、もしかしていいことがあるかもしれないものに対するアクセスが、かつてよりも近くなってきたのでは。
神社仏閣で売られるものに手が伸びやすくなった。それは、招き猫のような縁起物をインテリアとして、あるいは半分遊び心で買う層を育てている。
また、占い市場の拡大とも並走しており、「不安に対して何かしたい」という欲求が、様々な形で顕在化してきている時代だ。
猫の霊が宿った人形、養蚕の守り神——こうした物語が重なってこそ、招き猫は単なる置物を超えた何かになる。日本文化として海外に伝えるとき、その「物語の深さ」が、非常に面白がられている。
第5章:陰謀論と縁起物は、紙一重——民俗学者が今、向き合っている問い

インタビューの最後、島村氏は民俗学が現代に向き合うべき課題として、陰謀論とスピリチュアルの研究を挙げた。
意外かもしれないが、縁起物をある程度好きな人と、陰謀論に深く入り込む人のあいだの違いは、断絶というより程度の差にすぎない。
どちらも、合理的には説明しきれないものを信じようとするのは行動経済学でいうシステム1の働きだ。縁起物を信じ、熊手を買うことも招き猫を置くことも「念のため」の行為であくまでも「直感的」なものに留まる。しかし陰謀論は、その「信じる力」が暴走した状態とも言える。
「なので、陰謀論に深く入り込む人の間に入り、対話の可能性を探ることがこれからの社会には必要だ。切って捨てるのではなく、対話的に暴走を止めるのだ」と島村氏は語った。
民俗学は、非合理を否認する学問でも、手放しにする学問でもない。人間がシステム1とシステム2のバランスで生きているという事実と向き合い、その中に文化の形を見出す——生きることをより「快適に」する知恵を掘り起こす学問だ。
最後に若者へのメッセージとして挙げられたのは、「考察遊び」という言葉だった。
招き猫はどこから来たのか、常滑か瀬戸か今戸か豪徳寺か。猫信仰の伝承を辿っていくと、(縁起物として)狸に巡り合ったり、弁財天に出会ったりする。
「泉がすぐ枯れるようなテーマではない。そのきっかけにすればいい」——考察遊びや縁起物というきっかけの入口は、気づけば民俗学という広い学問へと続いている。