招き猫は、日本において長く「縁起物」として親しまれてきた存在だ。
その姿は各地で見られるが、どれも同じではない。
土地が違えば、作り方が違い、受け継がれてきた時間も異なる。
愛知県・常滑。
この地で、長年にわたり招き猫を作り続けてきた窯元が、梅月冨本人形園である。
ここでは、招き猫は「流行をつくるもの」でも、「変化を重ねる商品」でもない。
形を守り、工程を守り、人の手で作り続けることで、結果として人の暮らしの中に残ってきた存在だ。
本記事では、梅月冨本人形園がどのように始まり、
常滑焼の招き猫とはどのようなものなのか、
そして、何を変えず、何を受け継ぎながら作り続けているのかを、
冨本喜久恵さん(以下、冨本さん)より語られた言葉を軸に、静かに辿っていく。
評価や結論を急がず、
「作り続けてきた事実」と「その背景」に目を向けることで、
常滑焼の招き猫が、なぜ今も手に取られているのかを考えていきたい。
梅月冨本人形園と「招き猫三代」の時間

梅月冨本人形園の冨本さんは、現在で五代目にあたる。
ただし、招き猫づくりに限って言えば、その歴史は三代にわたって続いている。
もともと、先々代までの梅月冨本人形園では、
急須や大物の焼き物など、さまざまな陶器を手がけていたという。
転機となったのは、冨本さんの祖父の代だった。
祖父の代から始まった「招き猫一本」という選択
招き猫づくりが本格的に始まったのは、昭和20年前後。
戦後間もない時代、常滑には複数の窯元が存在し、
分業によって多くの人が関われる仕事が求められていた。
その中で冨本さんの祖父が選んだのが、「招き猫」を中心に据えるという判断だった。
一人で完結する仕事ではなく、
多くの人が関わりながら、効率よく数を作ることができる。
そうした背景から、招き猫という形に可能性を見出し、
制作を本格化させていったと伝えられている。
昭和25年頃までには、
現在につながる丸い大きな目と、二頭身のフォルムの基本的な形が整っていたという。
常滑という土地が支えてきたもの
当時の常滑は、土に恵まれた土地だった。
急須をはじめとする焼き物文化が根づき、
素材と技術が揃っていたからこそ、招き猫づくりも広がっていった。
ただし、その「土」は無限ではない。
現在では、常滑の土をそのまま使い続けることは難しくなり、
原材料は愛知県内などから仕入れたものを用いているという。
土と水、薬剤を混ぜ、
泥漿(でいしょう)と呼ばれる液体状の粘土を作り、
石膏型に流し込む。
外側から少しずつ固まり、中を抜いて空洞を作る。
この工程は、今も変わらず続けられている。
梅月冨本人形園の「三代続いている」という事実の重み
梅月冨本人形園で招き猫を作ってきたのは、
祖父から代々続いて、現在の三代目にあたる冨本さん。
特別な言葉で語られなくとも、
「続いている」という事実そのものが、
この仕事の性質を物語っている。
流行には沿うが、形を大きく変えることもなく、
必要とされる場所へ、静かに届け続けてきた。
招き猫づくりは、
突然始まった仕事ではなく、
時代の中で選ばれ、残されてきた営みというのがわかる。
常滑焼の招き猫とは何か

「常滑焼の招き猫」と聞くと、
産地の特徴や技法の違いを思い浮かべる人も多いかもしれない。
しかし冨本さんにとって、
常滑焼の招き猫とは「何かを説明する対象」というよりも、
長く作り続けてきた結果として、自然にそこに在り続けてきた存在だという。
縁起物というより「笑顔を招くもの」
招き猫をどう捉えているか、という問いに対して、
冨本さんから返ってきた言葉はとてもシンプルだった。
縁起もの、ですね。また、福を招くというより、
見た人が笑顔になるもの、という感覚が一番近いです。
金運や商売繁盛といった言葉よりも先に出てくるのは、
「笑顔」「喜ばれる」という感覚。
作り手である冨本さん自身が、「優しい気持ちになる」と語るその距離感は、
常滑焼の招き猫が、生活の中に自然と入り込んできた理由を静かに物語っている。
祝いの場や節目に選ばれてきた理由
梅月冨本人形園の招き猫は、個人の願掛けだけでなく、
贈り物として選ばれる場面が多いという。
例えば、
・新築祝い
・周年記念
・就任祝い
そうした「区切り」の場面で、
招き猫は言葉の代わりに手渡されてきた。
名入れを施したり、
特別な意味を加えたりすることで、
「世界に一つだけ」の存在になる。
飾るためというより、
誰かの節目に寄り添うものとして、
招き猫は使われてきた。
常滑焼の招き猫に共通する「変わらない形」
時代に合わせて、新しい商品やコラボレーションが生まれる一方で、
変えてはいけない部分もあるという。
それが、この招き猫の「形」だ。
・ふっくらとした体つき
・柔らかい表情
・昭和の時代から大きく変わらない佇まい
「モデルチェンジはしない」という言葉は、
変化を拒んでいるというより、
歴史として受け継ぐという選択に近い。
新しいものは、新しく作る。
しかし、核となる形は残す。
その姿勢が、
常滑焼の招き猫を「今も作られているもの」でありながら、
「昔から知っているもの」として感じさせている。
一体一体が「同じで、同じではない」理由
招き猫は型を使って作られる。
そのため、基本となる形は同じだ。
だが、完全に同じ顔の招き猫は存在しない。
特に表情を決める「目」と「ひげ」。
筆を入れるわずかな違いで、雰囲気は大きく変わる。
その違いを、
「手作りのばらつき」としてではなく、
「手作りの良さ」として捉えている。
そして、一つ一つの表情の違いから中には、
「自分の飼っていた猫に似ている」
そう言って手に取る人もいるという。
そこが、冨本さんにとって嬉しい瞬間の一つである。
招き猫が選ばれる理由は、理屈ではなく、
顔を見た瞬間の直感に近しい感覚なのかもしれない。
受け継ぐということと、続けてきた理由

梅月冨本人形園の招き猫は、
「守られてきたもの」というより、
必要とされ続けてきた結果として、残ってきたものだ。
続けること自体が目的だったわけではない。
続けられたのは、
手に取る人がいたから。
冨本さんは、そのことをとても現実的に捉えている。
「必要とされなくなったら、終わり」
招き猫づくりを続けてきた理由を聞くと、
返ってきた言葉は、驚くほどシンプルだった。
必要とされなくなったら、続けてはいけないと思ってます。
情緒的な使命感でも、
文化を守るという大きな言葉でもない。
買ってくれる人がいる。
喜んでくれる人がいる。
だから作る。
その循環が止まったときは、
無理に続ける理由はない。
この感覚が、
結果的に80年以上続いてきた理由でもある。
支えられてきたのは「売り場」と「人」
冨本さん自身、
自分の作った招き猫が
どんな場所で、どんな人に手に取られているのかを
直接見る機会は多くなかったという。
だからこそ、
今年のお正月に関東のお取引先さんのところを回り、
売り場を実際に見た体験が、強く印象に残っている。
「すごく人気なんですよ。」
「みんな喜んでますよ。」
そう言われた瞬間、
改めて実感した。
自分たちの仕事は、
ちゃんと「向こう側」に届いているのだと。
作り手だけで完結しない。
売り場と、人と、時間があって、
初めて成立する。
コロナで、一度「続けられない可能性」を見た
続いてきたとはいえ、
常に順風満帆だったわけではない。
コロナ禍では、
観光が止まり、
神社仏閣向けの需要も一気に落ちた。
発注は、十分の一ほどに減ったという。
「潰れるかもしれない」
そう思う瞬間が、
現実としてあった。
それでも、
完全に止めるという判断には至らなかった。
発注は大きく減ったが、
ゼロになったわけではなかった。
「まだ必要としてくれる先がある」
その事実が、踏みとどまる理由だった。
日本だけでなく、海外からも届く声
招き猫を支えているのは、
いまや日本国内だけではない。
台湾、韓国、アメリカ、ヨーロッパ。
「Maneki-neko」という言葉が、
そのまま通じる地域も増えている。
冨本さん自身、
「海外向けに売ろう」と考えてきたわけではない。
けれど、
必要としてくれる人が、
国境を越えて増えていった。
それが結果として、
続ける理由になっている。
「受け継ぐ」は、意志ではなく結果
受け継ごうとして、受け継がれたわけではない。
続けようとして、続いたわけでもない。
必要とされ、
応え続けてきた結果として、
いまがある。
冨本さんの言葉や姿勢から見えてくるのは、
「文化を守る」という大きな主語ではなく、
今日もちゃんと作ること。
ちゃんと届けること。
そして、また明日も求められたら作ること。
その積み重ねこそが、
梅月冨本人形園における
「受け継ぐ」という行為なのだ。
今、何を大切にして作っているのか

工房での仕事は、
大きく変わったようでいて、
根本はほとんど変わっていない。
ただ、
続けていくために向き合う課題は、
年々増えてきている。
「いま何を大切にしているのか」
その答えは、
作り方そのものと、
人の育て方に集約されていた。
「120%手作り」という言葉の意味
冨本さんが、
長年口にしてきた言葉がある。
うちの招き猫は、120%手作りです。
100%手作りは、
職人として当たり前。
残りの20%は、
「愛情」だという。
一体一体に気持ちを入れること。
雑にならないこと。
慣れに流されないこと。
縁起物であるからこそ、
作り手の姿勢が、そのまま表情に出る。
ただ形を作るのではなく、
向き合う気持ちまで含めて完成する。
それが、冨本さんにとっての「手作り」だ。
目と表情が、すべてを決める
招き猫づくりの中で、
最も神経を使う工程はどこか。
迷いなく挙がったのが、
「目」だった。
目の大きさ。
輪郭の取り方。
左右のわずかなバランス。
ほんの一筆で、
招き猫の印象は大きく変わる。
一度入れた線は、
やり直しがきかない。
だからこそ、
筆を置く瞬間には迷いが許されない。
同じ型を使っていても、
最後に「顔」を決めるのは、
職人の判断そのものだ。
目を入れる工程は、
技術というより、
覚悟に近い作業なのかもしれない。
人を育てることも、仕事の一部
いま、工房には8人のスタッフがいる。
その中で、
特に重要な工程を一緒に担う人材も育ってきた。
・目を描く
・表情を決める
最も繊細な部分を任せられるようになるまでには、
時間も覚悟も必要だった。
技術は教えられても、
感覚は簡単には共有できない。
それでも、
一人で抱え続けることはできない。
自分が外に出るためにも、
文化を次に渡すためにも、
人を育てることは欠かせない仕事になっている。
増産と品質、その両立の難しさ
中には、「もっと作れないか」という話も出てくる。
だが、機械化や海外生産という選択肢は、
最初から取らないと決めている。
増やすために、
本質を壊してはいけない。
協業によって生産体制を広げる場合でも、
最終的な仕上げや品質管理は、
必ず自分たちの目が届く範囲で行う。
・傷のチェック
・触り方
・扱い方
どれか一つでも崩れれば、
全体の質が落ちる。
「たくさん作る」よりも、
「ちゃんと作る」。
その優先順位は、
いまも変わっていない。
これからの未来についてどう考えているか

未来について質問させていただいたところ、
冨本さんは少し言葉を選んでいるようだった。
「難しいですね」と笑いながらも、
語られる内容は一貫していた。
新しいことをしたい気持ちはある。
外にも出ていきたい。
世界にも、(招き猫を)もっと知ってもらいたい。
けれどその前に、
絶対に外してはいけない「芯」がある。
その芯を守れなくなるなら、
どれだけ話が大きくても、
意味がない。
「買ってもらう」より、「知ってもらう」
冨本さんが口にしたのは、
意外にも「売りたい」という言葉ではなかった。
大切なのは、
まず知ってもらうこと。
・これは何なのか
・どこで作られているのか
・どういう意味を持つものなのか
それを知ったうえで、
手に取ってもらえたら嬉しい。
「買ってもらう」より先に、
「わかってもらう」。
その順番を間違えたくない、
という姿勢がはっきりしている。
海外についても同じだ。
数を売ることより、
「これは日本の、常滑で作られている招き猫なんだ」
と伝わることのほうが、ずっと大切だと考えている。
招き猫を通して、「常滑」を伝えたい
冨本さんの言葉の端々には、
常滑への想いがにじむ。
「とこなめって、どこですか?」
そう聞かれることは、今でも少なくない。
・名古屋の近く
・空港がある街
それ以上のイメージを持つ人は、
まだ多くないのが現実だ。
だからこそ、
招き猫をきっかけに常滑を知ってもらいたい。
招き猫だけが前に出るのではなく、
その奥にある土地や文化まで、
一緒に伝わっていくこと。
冨本さんにとって招き猫は、
「主役」であると同時に、
常滑という場所への入口でもある。
文化を守り続ける、という選択
生産量を増やすにあたり、
必ず出てくる選択肢がある。
コスト削減。
効率化。
けれど、
その道は選ばない。
日本の文化として作っているものだから。
この言葉は、
強い主張というより、
ごく自然な感覚として語られた。
続けるためには、
効率化も必要だ。
けれど、
本来の姿を間違えた瞬間に、文化は壊れる。
祖父の代から言われ続けてきたことと、
今の自分の感覚が、同じ場所を指している。
だからこそ、
どれだけ大変でも、
「文化を守り続ける」という前提は動かさない。
変わることと、変えないことを見極める
時代は変わる。
求められるものも変わる。
・展示会
・コラボレーション
・海外での紹介
これまで外に出る機会は多くなかったが、
これからは、少しずつ動いていきたいとも考えている。
ただし、
何でもやるわけではない。
形を変えていい部分と変えてはいけない部分。
その線引きを誤れば、
招き猫そのものが歪んでしまう。
流行に逆らうのではなく、
流行に飲み込まれない。
その感覚を持ち続けることが、
未来へつなぐために必要なことだと冨本さんは考えている。
「続けられるだけ、続ける」
最後に語られたのは、
とても静かな言葉だった。
続けられるだけ、続けたいですね。
大きな理想を掲げるよりも、
今日と同じ仕事を、
明日もきちんとやる。
その積み重ねの先に、
次の世代があり、
文化が残っていく。
招き猫を持って、
常滑を知ってもらう。
その循環が、
これからも静かに続いていくこと。
これが冨本さんの未来像になっている。
そこには、
長く続いてきた窯元だからこそ語れる、
現実的で、誠実な希望があった。
本記事では、梅月冨本人形園がこれまでどのように招き猫を作り、
どのような考えで続けてきたのか、その一端を紹介しました。
実際の招き猫や制作の様子については、
梅月冨本人形園の公式サイトもあわせてご覧ください。