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インタビュー

「招き猫は、意外にも役立たずだった?」― 美術史学者・山本陽子が読む、縁起物の図像と繋がり

招き猫は、なぜあの形をしているのか。なぜ手を挙げ、なぜあんなに丸っこく、なぜ笑っているのか。

美術史と図像学の視点から縁起物を研究してきた山本陽子(やまもとようこ)氏(以下、山本氏)は、こう語る。「招き猫のかわいさと、縁起物としての機能は、実は別の話かもしれない」。

大黒天・恵比須の図像研究を出発点に、縁起物の世界を渡り歩いてきた山本氏に、招き猫とその周辺に広がる「意味の体系」について聞いた。縁起物が担ってきた役割と、それを必要とし続けた人間の本質を辿る旅は、思わぬ方向へと深まっていく。

目次

第1章:縁起物という「窓口」——異界と繋がることの意味

大黒天の研究から、縁起物の世界へ

山本氏の研究の出発点は、招き猫ではなかった。

もともとの専門は、大黒天・恵比須の図像学だ。大黒天について深く研究を進めていくと、その周辺に存在する縁起物——福助、恵比須・大黒などの七福神、そして招き猫——へと自然に視野が広がっていった。

「仕方がないから全部さらって研究を。」という言葉が示すとおり、一つを研究のため追いかければ、必ず別の何かへと繋がっていく。それが縁起物の世界の性質だ。

これ(大黒天)をやるときは、別に猫をやるつもりはなかったんです。大黒天を調べていたら、周りの縁起物も全部調べる必要が出てきて、そこで招き猫が引っかかってきた、というのが正直なところで。

縁起物の世界は、一本の糸を引くと別の糸が出てくる。大黒天を追っていくと恵比須が見え、恵比須を追っていくと福助が見え、やがて招き猫と繋がっていく。しかし、その連なりの中に、山本氏は「図像の文法」という共通の構造を見出してきた。

「小さな体」は身長ではない——図像が語る異界のサイン

縁起物を正しく読むには、造形の「意味のコード」を知る必要がある。

たとえば大黒天の、あの小柄でずんぐりした体型。多くの人は「なんとなく愛嬌のある形」として受け取っているかもしれない。しかし美術史の視点から見ると、その意味は大きく変わってくる。

大黒天の小さな体は、物理的な身長ではありません。実はあの形は、『異界から来た存在』であることを示す図像的なサインなんです

異界から来た存在は、しばしば人間とは異なる体型で描かれてきた。大きすぎる頭、短い手足、奇妙な表情——それらは「この世ならぬ場所からやってきた」ことを伝える、約束されたコードである。

縁起物の姿を見て「なんとなく普通でない」と感じる直感は、あながち的外れではない。その造形には、意味が込められている。

役に立たない存在が、縁起物になるとき

同じ「異形の美学」で見ると、福助もわかりやすい例だ。

福助は、頭が異様に大きくて、変な格好をしています。普通に考えたら奇妙な存在ですよね。でも逆にその形が評判になって、人気者になってしまった

一寸法師もそうだ。「一寸(約3センチ)しかない」という、現実的には何の役にも立たない(お仕事もしにくいだろうとされる)小ささが、逆に「あちらの世界(異界)から来た存在」としてのリアリティを与える。

考えてみると不思議なことだ。福助も大黒天も一寸法師も——世間的な意味での「役立ち」とは、少しずれたところに存在する。それでも、あるいはそれだからこそ、人々は縁起物としてそれらを大切にしてきた。

「役に立たないもの」こそが「縁起をもたらすもの」として祀られ、愛されてきた。この逆説こそが、縁起物の本質的な構造を物語っているのかもしれないと山本氏は語る。その視点で招き猫を見直すとき、「招き猫は、意外にも役立たずだった?」というこの問いの意味が、少しずつ見えてくる。

第2章:招き猫の「かわいさ」はどこから来たのか

平安時代から続く、日本人と猫の関係

猫が日本に存在し、天皇や貴族たちに愛されていたことを示す文献のひとつが、清少納言の『枕草子』だ。

第九段に「上にさぶらう御猫は」という記述があります。一条天皇が大切にされていた猫がいて、その猫が犬に追われて怯えてしまう。それで犬を追い払ったら、今度はその犬がヨレヨレになって戻ってきたのでみんなが憐れんだ…という話です

時代は今から約千年前。当時の貴族たちがいかに猫を大切にしていたかが伝わってくる。この猫は「命婦のおとど」と呼ばれ、宮中で丁重に扱われていた。

ただし当時の猫は、現在の日本猫のような手に入れやすいペットではなかった。中国から輸入された「唐猫(からねこ)」——今で言えばペルシャ猫やシャム猫のような、唐からの高価な輸入猫だ。だからこそ、貴重な存在だった。

野放しにされず、紐で繋がれて大事にされていました

唐猫は貴族の部屋で愛でられ、名前をつけられ、その動向が記録されていた。いわば「生きた宝物」として扱われていたのだ。日本人と猫の関係は、記録に残る限りで見ても、千年以上の歴史を持つ。

唐猫から庶民の猫へ——猫が民衆の中に降りてくるまで

やがて時代が下るにつれ、猫は貴族の専有物から、庶民の暮らしの中へまで入り込んでいく。

猫が紐で繋がれなくなったのは慶長7年(1602)の「猫放し飼い令」以後。戦国時代が終わった京都の繫栄とともにネズミも増え、その対策として京都所司代が猫を放し飼いにするように命じてからです。

江戸時代になると、猫はすでに都市の随所に生息していた。長屋の路地をうろつき、魚屋の前に集まり、人々の日常に深く溶け込んでいた。猫絵の流行も江戸時代だ。歌川国芳をはじめとする絵師たちが、猫を主役にした浮世絵を多く残している。当時の人々が猫をどれだけ愛していたかが、残された絵の数からも伝わってくる。

こうした「猫文化」の蓄積の中から、「招く猫」という造形が生まれてくる。手を挙げ、丸く愛らしい姿で座る猫。その形がいつ、誰によって最初に作られたのか——起源については諸説あり、今も確定はされていない。しかしその造形が、江戸の庶民文化の中で育まれてきたことは確かだ。

唐猫という輸入猫がきっかけとなって猫が日本に広まり、長い年月をかけて日本の文化に根づいた猫への愛着が、江戸という時代の縁起物文化と交わりながら、日本独自の縁起物として生まれてきたものだ。

「かわいさ」と縁起物——実は別の話

ただ、ここで山本氏はひとつの問いを静かに投げかける。猫への愛着と、招き猫という縁起物の成立は、必ずしも直結しないのではないか、と。

猫がかわいいから招き猫が生まれた、という説明はよく聞きます。でも、かわいさと縁起物としての機能は、別の話ではないかと私は思っているんです。

確かに、猫がかわいいことと、猫が縁起をもたらすことは、論理的に別の話だ。かわいいものが縁起物になるとは限らないし、縁起物が必ずしもかわいい形をしているわけでもない。

では、なぜ猫が縁起物として選ばれたのか。

ひとつの見方として、第1章で触れた「役に立たないもの」が縁起物になるという構造がある。猫は確かにかわいい。しかしそれと同時に、猫は犬のように番犬になるわけでもなく、馬のように荷物を運ぶわけでもない。

米や書物をかじるネズミは獲るけれども、「宵越しの金は持たない」貯えの少ない江戸っ子たちには関係ない。猫は現実的な「役立ち」という観点では、ある意味「役に立たない」存在でもある。

その「役立たない」という属性こそが、異界との繋がりを感じさせる要素になっていたのかもしれない——これが山本氏の問いかけの背景にある視点だ。

かわいさと縁起は、重なっているように見えて、実は別の糸で成り立っている。その二本の糸がどのように交わって「招き猫」という形になったのかは、まだ解き明かされていない謎のひとつだ。

日本の「Kawaii」の独自性

日本独自の「Kawaii」という概念も、この文脈で考えると興味深い問いを呼び起こす。英語の「cute」とは明確に異なるこの感覚——少し丸く、少し不均衡で、どこか非日常的な存在感を持つもの。

日本の『Kawaii』が英単語として実在するようになったのは、向こうの人たちが『これはcuteとは違う何かだ』と感じたからだと思うんです。日本独特の感覚ですよね

“cute”が対象の愛らしさをそのまま記述する言葉だとすれば、”Kawaii”はその形が持つある種の「異質さ」や「非日常性」を含んでいる。

大きな目、頭身が少ない体型、現実離れした丸みのある輪郭——これらは美術史的に見ると、「異界の存在」を示す図像的なコードと重なってくる。招き猫の造形と、Kawaiiの文脈は、実は深いところで繋がっているのかもしれない。

興味深いのは、Kawaiiという感覚が世界に広まったのはここ数十年のことだが、日本でその感覚が育ってきた歴史は遥かに長い、という点だ。

武士道や侍のイメージが「ジャパニーズクール」として海外で受容されているように、Kawaiiもまた「ジャパニーズ」という文脈を切り離せない概念だ。海外の人が「これはcuteとは違う」と感じる何か——その「違い」の正体を、山本氏の言葉は静かに示している。

唐子(カラコ)——日本のKawaiiの遠い源流

Kawaiiの源流を辿ると、中国の「唐子(カラコ)」という表現に行き着く。

唐子(カラコ)とは、中国で描かれてきた頭の大きな子供の絵のことだ。大きな頭、丸い目、ぽってりとした体——どこかキューピー(愛の神キューピッドをモチーフにしたと言われる)の人形に似た、頭でっかちで愛らしい子供のイメージだ。

中国にも、子供を描いた唐子という表現があります。でも可愛いに関しては、日本のKawaiiが先に世界に広まってしまったような気がします

日本は中国から多くの文化的影響を受けてきた。文字も、絵の技法も、神仏の図像も——その多くは中国からもたらされたものだ。しかし「可愛い」という感覚については、日本が独自の方向へと発展させ、やがてそれが世界に逆輸出されるほどの力を持つようになった。

唐子が「子供の可愛さを描いたもの」にとどまっているとするなら、日本のKawaiiはそこからさらに進んで、日常の中の異質な美しさ、非日常的な愛らしさへと変容していった。招き猫の丸い目と丸い体は、その変容の先に生まれた形のひとつと言えるかもしれない。

ただし山本氏は繰り返す。「それはあくまで、かわいさの話です。縁起物としての機能は、おそらく別のところにある」。

その問いは、まだ答えが出ていない。だからこそ、招き猫はこれだけ多くの人を惹きつけ続けているのかもしれない。

第3章:鎖国という「器」が、招き猫を育てた

江戸の文化が花開いた理由

なぜ江戸時代に、招き猫を含む縁起物文化がこれほど豊かに育ったのか。

その背景のひとつが、鎖国という制度だ。外からの影響が限られる中で、中国からの文化は長崎ルートで少しずつ入ってきた。完全な孤立ではないが、外の文化に常にさらされ続けることもない。その環境の中で、日本独自の文化が静かに育っていった。

地続きの国々だと、隣から文化を強制されやすい。でも日本は島国で、鎖国もしていたから。違うぞって言われても揺さぶられにくかった

大陸と地続きの国々は、隣国の文化に常にさらされ、相対化される圧力を受け続ける。朝鮮半島の文化が中国の影響をより強く受けてきたのも、地続きであるという地政学的な条件と無関係ではない。しかし海で隔てられた島国は、違う。外から「それは間違っている」と言われても、なかなか届かない。

島国という条件が生んだ、独自の文化

「日本に伝わった文化の多くは、中国が起点です。文字も、絵も、絵の描き方も。でも島国だからこそ、それが独自に醸成されていった」

中国から伝わった文字も、絵の技法も、神様の形も——日本という島国の中で、独自の醸成を繰り返した。唐猫という貴重品として日本に渡ってきた猫が、やがて庶民の暮らしに溶け込み、縁起物としての招き猫へと姿を変えていったのも、その醸成の過程のひとつだ。

招き猫は、猫という存在が日本に根づき、日本の縁起物文化と出会い、江戸という時代の土壌の中から生まれた、日本オリジナルの縁起物だ。

商人・町民が文化を担った江戸では、遊郭や芸者の世界とも結びつきながら、縁起物への需要が高まっていった。

鎖国という「器」の中で、外部の圧力を受けながらも飲み込まれることなく、日本の縁起物文化は独自の深みへと育っていった。

第4章:縁起に縋る——それは、人間の本能

「何かに縋(すが)りたい」という、世界共通の感覚

縁起物への願いは、日本だけのものではない。

試験の前日に神社でお参りをする。旅行に出る前にお守りを買う。大切な日に縁起のいいものを身につける。これは特別に信仰深い人だけがする行為ではない。

「念のため」「なんとなく」という感覚で、人は縁起物に手を伸ばす。その行為に科学的な根拠がないとわかっていても、なぜか心が落ち着く。

世界共通で、何かプラスな気持ちになれるもの、安心できるものを人は求める。それは昔も今も変わらない

縁起物は、その「縋り」に形を与えたものだ。目に見えない不安を、見える形にする。持ち歩けるものにする。飾ることのできるものにする。それによって、少しだけ心が落ち着く。

日本の招き猫も、欧米のラッキーチャームも、中国の縁起物も——文化や形は違っても、その根っこにある人間の心理は同じだ。「何かに縋っていたい」という感覚は、人間の本能として、時代も国境も超えて存在し続けてきたとも言える。

あの世とこの世で、価値観は逆転する

ここで山本氏が語る、最も興味深い視点のひとつが浮かび上がってくる。

先述の通り、縁起物とは「異界と繋がる窓口」だ。大黒天の異形の体も、福助の大きな頭も、竜宮のような「あちらの世界」との繋がりを示している。では、「あちらの世界」とは、どんな場所なのか。

あの世とこの世で、価値観が逆転しているという話が、民話の中に何度も出てきます。それが今一番面白いなと思っていることで

まず一つ目の話を聞いた。花咲爺さんの類話として、こんな民話がある。老人が竜宮からもらった犬の話だ。もらって帰ると婆さんが犬に向かって「役立たずの犬だ」と言う。ところがある日、その犬がうんちをする——そのうんちが金の塊だった。最も汚いと思われていたものが、最も価値あるものに化ける。

これが「あの世とこの世の価値逆転」の典型的な構造だ。

「あの世では、こちらの世界の常識が通じない。最も汚いものが最も貴い金になる。あの世とこの世では価値観が逆転している」

続いてもう一つの話。異世界の男に嫁いだ女性が、持参金として小判を持っていった。ところが夫は、その小判を鳥に向けて投げてしまう。女性が驚いて問い質すと、夫はこう答えた。

「うちの裏に行けばこんなものいくらでも積み上がってるよ、って。あの世では、こちらの世界で最も価値のある金が、鳥を獲る石ころと同じ扱いなんです」

この二つの話に共通する構造を整理すると、「こちらの世界」では役に立たないもの(犬のうんち)が、「あちらの世界」では最も価値あるものだ。逆に、「こちらの世界」で最も価値あるもの(金の小判)が、「あちらの世界」では石ころと変わらない。

価値の体系そのものが、どちらの世界にいるかによって、完全に逆転する。

縁起物とはあの世とこの世を繋ぐ存在——そう考えると、「役に立たないもの」が縁起物として祀られてきたことにも、ある種の必然性が見えてくる。異界との境目に置かれた縁起物は、この世の「役立ち」の論理だけでは測れない何かを帯びている。

招き猫が「意外にも役立たずだった?」というこの問いは、そのような文脈の中でこそ、深く読み解かれるものなのかもしれない。

第5章:美術史学者が今、最も面白いと感じる問いへ

「物の価値とは何か」という問い

「あの世とこの世の価値観の逆転」というテーマは、やがて「物の価値とは何か」という根本的な問いへと繋がっていく。

金って、よくよく考えると役に立たないんですよ。金属にしては柔らかいし、キラキラしてるだけで。でもみんなが大事だと言っているから価値がある

確かに、金は食べられない。柔らかすぎて武器にも道具にもならない。希少であるというだけで、物質としての実用性は低い。それでも人類は何千年もの間、金を最も価値あるものとして扱ってきた。

真珠も同じだ。かつては極めて貴重だったものが、養殖技術の発達とともに希少性が変わった。中国では海が少ないからこそ真珠は特別な宝物で、あまり綺麗でなくても大切に冠に飾っていたという。

平安時代の極楽浄土(あちらの世界)の描写には、地面が宝石でできており、天人が鳥を獲るために宝石を投げているという歌がある。あの世では、宝石は石ころと変わらない。昔の人も、同じことを考えていた——価値って、本当は何なんだろうか、と。

ものすごく大量にあったら、金も邪魔な役に立たない物質ってことになる。宝石でも同じかもしれない。物の価値って、なんなんだろうって、不思議ですよね

「あの世とこの世の境界」を、今後も追いかける

山本氏が現在最も関心を持っているテーマを聞くと、こんな答えが返ってきた。

昔考えられていたであろう、あの世とこの世で、物や生きものの立場が逆になるという考えが、今一番面白いなと思っていることです。それを今後どう調査していくか、まだ考えているところですね

縁起物研究は、奇妙なことに、物の価値の本質、人間の心の構造、文化の形成まで、あらゆる問いへと延びていく。招き猫という小さな置物を追いかけることが、やがて「人間はなぜ何かを信じるのか」という問いへと繋がっていく。

「招き猫って、最初は単純に縁起物の一つとして引っかかってきたものだったんです。でも追いかけていくと、どんどん考察とともに深くなっていく」

美術史と図像学の観点で縁起物を研究し続けてきた山本氏は、これからもこのテーマを探り続けていく。その先に何が見えてくるのか——縁起物研究という営みの中に、まだ誰も気づいていない発見が待っているのかもしれない。

「ただのかわいい縁起のある置物だと思っていたものに、意味の体系がしっかりある」——この記事を読み終えたとき、あなたの部屋に置かれた招き猫の見え方が、少し変わっているかもしれない。