「今戸焼の招き猫って、常滑や九谷とどう違うの?」「なぜあの丸くてかわいい招き猫が、東京・浅草の近くで生まれたの?」。
招き猫の産地を調べていると、今戸焼という名前に出会った方もいるのではないでしょうか。
今戸焼の招き猫には、江戸の下町で職人が長い年月をかけて育んできた、文化・技・物語があります。
その背景を、紐解いていきましょう。
より詳しく知りたい方は『招き猫の産地、どう選べばいいの?常滑・瀬戸・九谷に、窯元が育んだ文化がある』もご覧ください…!
今戸焼の招き猫とはなにか

今戸焼とはどんな焼き物か
今戸焼(いまどやき)は、東京都台東区今戸を発祥とする焼き物です。
隅田川のほとりに位置する今戸の地で、江戸時代から続いてきた陶芸の伝統があります。
現在は生産者が非常に少なくなっていますが、その希少性が今戸焼の招き猫をより特別なものにしているともいわれています。
今戸焼の特徴は、素朴でおおらかな風合いにあります。
細かな装飾よりも、温かみのある形と表情が際立っており、見る人に親しみやすさを感じさせます。
江戸の庶民の暮らしの中で生まれ育った焼き物だからこそ、飾り気のない誠実さが宿っているのです。
今戸焼は、かつて隅田川の川底から採れる土を用いて作られていました。
その土が持つ独特の質感が、今戸焼ならではの柔らかな表情を生み出してきました。
産地の土と水が、焼き物の個性を決める。今戸焼はその好例といえるでしょう。
今戸焼の招き猫の特徴:丸くて穏やかな表情
今戸焼の招き猫を一目見た人が、まず感じるのは「丸い」「かわいい」という印象です。
常滑の凛とした佇まいや九谷の華やかな彩色とは異なり、今戸焼の招き猫は全体的に丸みを帯び、穏やかで愛らしい表情をしています。
この丸みは、偶然生まれたものではありません。
江戸の庶民が「手のひらに収まるような、親しみやすい縁起物を」と求めてきた文化の中で、少しずつ磨かれてきた形です。
福を招く猫が、威圧感なく穏やかに迎えてくれる。そのイメージが今戸焼の招き猫の丸い造形に込められています。
今戸焼の招き猫に多く見られる特徴を整理すると、次のようになります。
- 全体的に丸みのある、ふっくらとした体形
- 細く弧を描く目と、穏やかな口元の表情
- 比較的小ぶりで、手のひらに乗るサイズ感
- 素朴な彩色:白地に赤・金・黒を使ったシンプルな絵付け
こうした特徴が、今戸焼の招き猫を「いつも傍に置いておきたい」と感じさせる魅力になっています。
愛らしさの中に、江戸の職人が込めた縁起への祈りがある。それが今戸焼の招き猫の本質といえるでしょう。
なぜ今戸焼は招き猫と結びついたのか
今戸焼が招き猫の産地として知られるようになった背景には、今戸という土地の性格があります。
浅草に近く、江戸時代から多くの人が行き交う場所だった今戸では、土産物や縁起物の需要が常にありました。
その流れの中で、招き猫という縁起物が今戸焼の職人たちに採り入れられていったのです。
また、今戸焼はもともと土人形や置き物づくりを得意としていました。
人や動物を模した土の造形物を作る技術が、招き猫という新しい縁起物の制作にそのまま活かされました。
招き猫が庶民の間で広まる江戸後期に、今戸焼という産地が招き猫づくりと出会ったことは、必然だったともいえます。
江戸の下町で育まれた今戸焼の歴史

隅田川のそばで生まれた窯
今戸焼の歴史は、江戸時代前期にさかのぼります。
隅田川に面した今戸の地は、川から土や薪を運びやすく、窯を築くのに適した環境でした。
江戸という大きな消費地を目の前に持つ立地も、窯業が発展するうえで大きな力になりました。
当初は瓦や日用陶器を中心に生産していましたが、やがて土人形や縁起物へと守備範囲を広げていきました。
江戸の人々の暮らしを支える「実用の焼き物」として育ち、その後「縁起物の焼き物」へと変化していく。
その変遷が、今戸焼の豊かな歴史を形づくっています。
江戸の都市が成熟するにつれ、人々は実用品だけでなく、福を呼ぶための縁起物も求めるようになりました。
その需要をいち早く受け止めたのが、今戸の職人たちだったのです。
浅草・今戸という場所が持つ意味
今戸焼が生まれた今戸という土地は、浅草寺のほど近くに位置しています。
浅草は江戸時代から庶民文化の中心地として栄え、参拝客や観光客が絶えない場所でした。
その浅草に隣接する今戸は、縁起物の産地として理想的な立地にありました。
浅草寺へのお参りの帰り道に今戸焼の土人形や招き猫を土産として買っていく、という文化が江戸の人々の間に自然と根付いていきました。
縁起物を「参拝の記念」として持ち帰るという習慣が、今戸焼の招き猫の普及を後押ししたのです。
下町という言葉が持つ、人と人が近く、文化が混ざり合う空気感。
その中で、今戸焼の招き猫は「誰もが手に取れる縁起物」として愛され続けてきました。
産地と消費地が近接しているという地の利が、今戸焼の招き猫の個性を形成したといえます。
縁起物の産地として育った今戸
江戸後期から明治にかけて、今戸では招き猫をはじめとする縁起物の生産が盛んになっていきました。
招き猫のほか、達磨や福助、恵比寿・大黒といった縁起物も今戸焼の職人たちの手で作られていました。
縁起物の産地として、今戸の名は江戸の人々の間で広く知られるようになっていったのです。
明治以降、産業化が進む中で多くの小さな窯が廃業していきましたが、今戸焼の伝統は一部の職人によって守られ続けてきました。
その継承の歴史が、今戸焼を単なる古い焼き物ではなく、「生きた文化」として現代に届けています。
今戸焼の招き猫を特別にする技と意匠
丸みのある造形に込められた意味
今戸焼の招き猫の最大の特徴である「丸み」は、単なる見た目の話ではありません。
丸い形は、日本の縁起観において「円満」「満ち足りた状態」を象徴します。
福が欠けることなく満ちている、という願いが、丸みのある造形に込められているのです。
また、丸みを帯びた形は持ちやすく、手のひらに収まるサイズ感が親しみやすさを生み出します。
江戸の庶民が「気軽に持ち運べる縁起物」を求めていた文化と、今戸焼の丸い招き猫は見事に一致しています。
実用と縁起が一体になった形として、今戸焼の造形は生まれてきたのです。
絵付けと色彩:江戸の美意識が宿る
今戸焼の招き猫の絵付けは、華美ではなく素朴さの中に美しさがあります。
白を基調とした地に、赤・黒・金を使った控えめな彩色が施されています。
この配色は、江戸文化が育んだ「粋」の美意識を体現しているといえます。
多くの色を使わず、少ない色で豊かさを表現する。
それは浮世絵や江戸小紋にも共通する、江戸の美意識です。
今戸焼の職人たちは、その美意識を招き猫の絵付けに込めてきました。
シンプルな色使いの中にある温かさが、今戸焼の招き猫を何十年たっても色あせない存在にしているのです。
職人が守り続けてきた型と焼きの技
今戸焼の招き猫は、伝統的な型を使って成形されます。
型に土を押し込み、乾燥させ、素焼きして彩色し、本焼きするという工程を経て、一体の招き猫が完成します。
シンプルに見えるこの工程の一つひとつに、職人が積み重ねてきた勘と技が息づいています。
特に焼成の温度管理は、土の質や気候によっても微妙に調整が必要です。
今戸焼の柔らかな色合いと質感は、この緻密な焼きの技があってこそ生まれます。
機械化が進んだ現代においても、今戸焼の招き猫は職人の手仕事の積み重ねによって作られています。
今戸神社と招き猫のつながり
今戸神社と縁結びの信仰
今戸焼の産地である今戸の地には、今戸神社という神社があります。
今戸神社は縁結びの神様として知られ、良縁を願う多くの参拝者が訪れる場所です。
神社の境内には招き猫が数多く奉納されており、招き猫と縁結びが深く結びついた独特の空間が形成されています。
縁結びと招き猫。一見異なるようで、実はつながっています。
招き猫は「縁を招く」縁起物です。
商売の縁、人との縁、幸福の縁。招き猫が招くものは金運だけではなく、すべての良い縁を呼び込むという考え方が今戸神社には息づいているのです。
招き猫発祥の地としての今戸
招き猫の発祥地については、複数の説があります。
東京では今戸神社、世田谷では豪徳寺がその有力な候補として知られています。
今戸神社の説によれば、江戸時代に今戸の老婆が貧しさの中で飼い猫を手放したものの、その猫が夢枕に現れ「自分の姿を形にして売れば福が来る」と告げ、土人形の招き猫を作ったことが起源とされています。
発祥の真偽は歴史の中に埋もれているとしても、「招き猫が今戸で生まれた」という物語が今戸神社と今戸焼を深く結びつけていることは確かです。
今戸という土地そのものが、招き猫という文化の揺りかごであったという考え方が、今戸焼の招き猫を単なる工芸品を超えた意味を持つものにしています。
神社と窯元が育んだ縁起物の文化
今戸神社と今戸焼の窯元が近くに存在してきたことは、今戸の縁起物文化に大きな影響を与えてきました。
神社への参拝と焼き物の工房が同じ土地に根を張ることで、「祈り」と「ものづくり」が自然に交差する環境が生まれていたのです。
参拝者が神社で祈りを捧げ、帰り道に今戸焼の招き猫を手に取る。
その行為の中に、信仰と生活と工芸が一つになった江戸の下町文化が宿っています。
神社と窯元が互いに支え合い、今戸という土地の縁起物文化を育ててきた歴史が、今戸焼の招き猫の価値を深めているのです。
現代に受け継がれる今戸焼の招き猫
今戸焼を守る職人たち
現代の今戸焼は、生産者が非常に限られています。
最盛期には多くの窯元が軒を連ねていた今戸の地も、近代化の波の中で多くの工房が姿を消しました。
それでも、今戸焼の技と美意識を次の世代に伝えようとする職人の存在が、この伝統を現代につないでいます。
少数の職人が守り続けてきた今戸焼の招き猫は、その希少性ゆえに「本物の縁起物」として高く評価されるようになっています。
大量生産品では得られない、職人の手跡が残る一体一体の個性が、今戸焼の招き猫を求める人を惹きつけます。
伝統を守ることの困難さと、それでも続ける職人の誠実さが、今戸焼の招き猫に宿っているのです。
今戸焼の招き猫の迎え方・選び方
今戸焼の招き猫を迎えたいと思ったとき、どのように選べばよいのでしょうか。
まず知っておきたいのは、今戸焼は生産量が少ないため、出会えること自体が縁であるということです。
焦らず、自分がしっくりくる一体と出会うことを大切にしてください。
今戸焼の招き猫を選ぶときのポイントを整理します。
- 造形の丸みと表情:職人によって微妙に表情が異なる。自分が「いいな」と感じる顔の招き猫を選ぶ
- 彩色の質感:手仕事による絵付けの温かみがあるか確認する
- サイズ感:手のひらに収まる小ぶりなものが多い。置き場所に合わせて選ぶ
- 購入場所:今戸神社周辺の工房や専門店、民藝系のショップで出会えることが多い
今戸焼の招き猫は、飾る場所を選びません。
玄関に一体置くだけで、江戸の下町から続く縁起物の文化が暮らしの中に入ってきます。
その穏やかな丸みと表情が、毎日の暮らしにさりげない安らぎをもたらしてくれるはずです。
日本初の招き猫専門メディア『招き猫研究所』

招き猫研究所では、招き猫を『縁起物の雑学』ではなく、日本が育んできた文化として伝えていきたいと考えています。
窯元や産地、職人さんの想いが込められた招き猫の世界を、もっと多くの方に届けたい。
そんな思いで、記事を書いています。
「招き猫って、もっと深いんだ」と感じていただけたら、『産地と窯元』の記事もご覧になってみてください。
まとめ:江戸の下町が育てた、愛され続ける招き猫
今戸焼の招き猫は、隅田川のほとりに生まれ、浅草の下町文化の中で育ち、今戸神社の縁起の力を背負って現代まで受け継がれてきた縁起物です。
丸みのある造形、素朴な彩色、職人の手仕事。その一体一体に、江戸から続く文化と祈りが込められています。
常滑や瀬戸といった大産地とは異なる、小さくとも深い歴史を持つ今戸焼。
招き猫の産地を知ることは、日本の縁起物文化の多様さと豊かさを知ることでもあります。
今戸焼の招き猫と出会う機会があれば、その丸い姿の奥にある江戸の下町の物語を思い浮かべながら、ぜひ手に取ってみてください。
職人が守り続けてきた技と文化が、あなたの暮らしの中に、静かに福を招いてくれるはずです。
