この記事でわかること
- 招き猫の伝説は豪徳寺・今戸・自性院・吉原などに伝わる
- 同じ伝説でも、資料によって雷雨や落雷など筋が少しずつ違う
- 伝説の多くは、猫が人を招き、福や縁をもたらす話
- 猫が顔を洗うと客が来る言い伝えは、唐代の中国の書物にある
招き猫の伝説は、豪徳寺の井伊直孝の話、今戸の老婆の話、自性院の黒猫の話などが代表的です。どの伝説も猫が人を招き、福や縁をもたらすという点で共通しています。
同じ伝説でも、寺の縁起と辞典、観光サイトでは語られ方が少しずつ違います。どの資料がどう伝えているのかを知ると、招き猫に込められた願いの重なりが見えてくるでしょう。
寺社や自治体の公式サイト、辞典、図書館の調査記録、研究所の取材をもとに、伝説ごとに出典を示して整理しました。発祥の地の比べ方や、名前が記録に現れるまでの経緯は、別の記事で扱っています。
招き猫の伝説とは

招き猫の伝説とは、猫が人を手招きしたり導いたりして、福をもたらしたという寺社や土地の言い伝えです。まず主な伝説を一覧で押さえ、伝説を読むときの心がまえを確かめておきましょう。
招き猫の伝説の要点
- 代表的な伝説は、豪徳寺・今戸・自性院の話
- 寺の縁起、辞典、観光サイトで、筋の細部が少しずつ違う
- 手招きの姿には、中国の書物に残る言い伝えも重ねられてきた
主な伝説と伝える資料
招き猫の主な伝説は、舞台も猫の役回りも異なる5つの話に分けられます。
招き猫の主な伝説と伝える資料
| 伝説 | 舞台 | 猫がしたこと | 伝える主な資料 |
|---|---|---|---|
| 井伊直孝と猫 | 豪徳寺(東京都世田谷区) | 門前で手招きし、直孝を雷雨から守った | 寺の公式サイト、地名辞典、伝説事典 |
| 老婆と猫のお告げ | 浅草・今戸(東京都台東区) | 夢に現れ、自分の姿を土で作るよう告げた | 愛知県・常滑市の観光サイト、研究所の取材 |
| 太田道灌と黒猫 | 自性院(東京都新宿区) | 道に迷った道灌を寺へ導いた | 寺の公式サイト、区の文化観光資源案内 |
| 主夜神の使いの黒猫 | 檀王法林寺(京都市左京区) | 夜を守る神の使いとされた | 寺の公式サイト |
表のうち、猫が自ら手を挙げて招いたと語られるのは豪徳寺の話です。一方で自性院や今戸の話では、猫は道案内やお告げという形で人を助けています。
つまり「手招き」の姿だけが伝説の主役ではありません。猫が人と福を結びつけたという筋こそが、招き猫の伝説の共通点といえるでしょう。
伝説と史実を分けて読む
招き猫の伝説は、史実の記録ではなく、寺社や土地が語り継いできた物語として読むのが確かです。どの伝説にも、置物が最初に作られた年や作り手を示す記録は添えられていません。
民俗学者の飯倉義之氏は、研究所の取材に「ものより先に由来ができることはないので」と語っています。飯倉氏は、招き猫があることを説明するために、寺と井伊家の縁や今戸焼の縁から、後から伝説が作られていったのだろうと見ています。伝説を史実と分けて読むのは、伝説の成り立ちから見ても自然な読み方です。
それでも伝説は、招き猫が店先に置かれる理由を語る役目を果たしてきました。豊中市立図書館の調べでは、『民間信仰辞典』が豪徳寺の故事にもとづいて商家が招き猫を店先に置いたと説明しています。
ほかの縁起物と比べると、伝説の主役にも招き猫らしさが表れるでしょう。縁起だるまは、少林山達磨寺の住職が心越禅師の描いた達磨大師の坐禅像をもとに木型を彫ったことが始まりとされます。
だるまは実在の高僧の姿を写した縁起物です。対して招き猫の伝説の主役は、名も残らない寺や町の猫たちでした。だからこそ招き猫は、身近な猫に福を託す庶民の縁起物として親しまれてきたのでしょう。
招き猫とはどんな縁起物なのか、定義や種類から全体をつかみたい人は、総合の記事も参考にしてください。
豪徳寺の井伊直孝と猫の伝説
豪徳寺の伝説は、招き猫の伝説のなかで最もよく知られた話です。寺の縁起だけでなく、地名辞典や伝説事典、いまの地域のキャラクターにまで受け継がれています。
寺が伝える物語
豪徳寺が伝える物語は、鷹狩りの帰りの殿様が門前の猫に手招きされたところから始まります。寺に立ち寄って過ごすうちに雷が鳴り、雨が降り出しました。
雷雨を避けられたうえ、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運に深く感じ入ったといいます。この殿様が、彦根藩主の井伊直孝でした。
寺の公式サイトでは、直孝の後押しで豪徳寺が立て直された年を寛永10年(1633年)と記しています。その後、福を招いた猫は招福猫児(まねきねこ)と呼ばれ、祀るためのお堂も建てられています。
つまり寺の語り方で目を引くのは、直孝が命を救われた話ではなく、思いがけない幸運に恵まれた話として描かれている点です。招き猫が「縁」を招くという寺の考え方とも、よく響き合う筋立てでしょう。
資料ごとに違う語られ方
豪徳寺の伝説は、資料によって雨の場面や猫の動機が少しずつ違います。豊中市立図書館が調べた資料と、区や辞典の説明を並べてみましょう。
豪徳寺の伝説の語られ方の違い
| 資料 | 直孝に起きたこと | 物語の結び |
|---|---|---|
| 豪徳寺の公式サイト | 雷雨を避け、和尚との話を楽しんだ | 寺の再興と、招福猫児を祀るお堂 |
| 『日本歴史地名大系13』 | 郎党とともに招き入れられ、落雷の災いから救われた | 井伊家の江戸菩提寺となる |
| 『日本伝奇伝説大事典』(『荏原郡誌』を引く) | 寺の猫に招かれて雨宿りをした | 飼い猫が住職の恩に報いた話として、住職が猫塚を建てる |
| 世田谷デジタルミュージアム | 手招きする猫に導かれ、雷雨の害から逃れた | 招福観音堂に招き猫が納められる |
| 改訂新版 世界大百科事典 | 猫に招かれて寺に入った | 招き猫を描いたお札が出され、境内に猫塚がまつられる |
表のとおり、雷雨・落雷・雨宿りと、天気の場面だけでも語り方に幅があります。『荏原郡誌』を引く伝説事典では、猫は住職への恩返しとして直孝を招いたことになっていました。
なお、今回確かめた資料には、伝説の猫の毛色を白と記したものは見当たりませんでした。毛色まで添えた紹介を見かけたら、どの資料にもとづくのかを確かめておくと安心です。
だからこそ豪徳寺の伝説を人に話すときは、寺の縁起の筋を基本に、ほかは「〜という語り方もある」と添えるとよいでしょう。授与品や境内の見どころを知りたい人は、豪徳寺を訪ねる前に次の記事を読んでおくと便利です。
ひこにゃんに受け継がれた伝説
豪徳寺の伝説は、彦根市が生んだ「ひこにゃん」というキャラクターにも受け継がれています。秋田魁新報によると、ひこにゃんは直孝を寺の門前で手招きし、雷雨から救った招き猫をイメージした姿です。
頭には、戦国時代に井伊軍団の象徴だった赤いかぶとをかぶっています。京都文化博物館の展覧会解説も、豪徳寺説を「ひこにゃん」の由来になった説として紹介しました。
ひこにゃんは2006年(平成18年)に名前が決まり、2026年に20回目の誕生日を迎えています。豊中市立図書館の調べでも、この猫の逸話がひこにゃんの由来だと記した本が挙げられていました。
つまり豪徳寺の伝説は、寺の縁起から、彦根のまちの顔へと舞台を広げてきたのです。寛永の再興から370年余りのちに、江戸の寺の話が新しい形で親しまれている例といえるでしょう。
浅草・今戸の老婆と猫の伝説

今戸の伝説は、猫のお告げから招き猫の置物が生まれたと語る話です。寺の縁起ではなく、今戸焼をつくる町の人々の暮らしが舞台になっているのが、豪徳寺の話と異なるところでしょう。
夢に現れた猫のお告げ
今戸の伝説の骨格は、老婆の夢に猫が現れ、土の置物を作るよう告げたというものです。愛知県と常滑市の観光サイトでは、江戸の浅草を舞台にした話として載っています。
お告げのとおりに土を焼いて猫の置物をこしらえたところ、老婆の身に幸運が重なったそうです。この話が評判を呼び、招き猫のブームが起きたというのが両サイトの説明です。
愛好家の団体である日本招猫倶楽部も、この老婆の話を招き猫の始まりにかかわる話として挙げています。小さな幸せを願う江戸の人々の気持ちが、評判を広げたのでしょう。
なお、地誌や日記に嘉永5年(1852年)の記事として残ると紹介されることもあります。ただし研究所では原文を確かめられていないため、観光サイトと報道で確かめられる筋だけを紹介しました。
研究所の取材で語られた別の筋
今戸の伝説には、猫がいなくなった悲しみから始まる別の筋もあります。研究所が取材した民俗学者の島村恭則氏は、文献に残る説話として次の話を紹介しました。
浅草寺の境内で今戸焼を売る夫婦の猫が、知り合いの家の小鳥を食べてしまいます。妻が謝りに出かけて戻ると猫は姿を消しており、妻は寝込んでしまいました。
今戸の職人仲間が猫の代わりに土の人形を贈ると、妻の夢に猫が現れます。猫は申し訳なさから井戸に身を投げたと明かし、これからは人形が守ると告げて消えたそうです。
翌日に妻が元気になったことから、人形には猫の霊が宿ったかのように語られました。そのため近所で人形の貸し借りが広まり、足りなくなって複製が始まったといいます。
つまりこの筋の招き猫は、福を招くより先に、人を守る人形として描かれているのです。島村氏の話の全体と、今戸焼の招き猫の歩みは、次の記事で読めます。
黒猫が人を導いた伝説
東京の自性院と京都の檀王法林寺には、黒猫にまつわる伝説が伝わります。どちらも黒猫が人を守る存在として語られ、黒い招き猫の由来の一つにもなってきました。
自性院の太田道灌と黒猫
自性院の伝説は、合戦のさなかに道に迷った太田道灌を、黒猫が寺へ導いたという話です。区の文化観光資源案内では、話の時代を文明9年(1477年)の合戦の折としました。
ただし、黒猫が道灌をどう導いたかは、資料によって描き方が異なります。
自性院の伝説の語られ方の違い
| 資料 | 黒猫のしぐさ | その後 |
|---|---|---|
| 自性院の公式サイト | 夜道に迷う道灌の前に現れ、寺の草庵へ導いた | 道灌は猫を城で養い、死後に地蔵尊を建てて冥福を祈った |
| 新宿区の文化観光資源案内 | 道灌をこの地に導いて救った | 黒猫を祀った秘仏の猫地蔵が安置される |
| 太田道灌の顕彰サイト | さかんに手招きをした | 道灌が猫の石像を寺に寄贈した |
寺と区の説明では、黒猫は手招きではなく道案内をした猫として描かれています。一方で顕彰サイトは手招きの場面を加え、この猫を招き猫の元祖に数える見方も紹介していました。
そのため自性院の伝説は、手招きの姿よりも、猫が人を福へ導くという考え方を伝える話として読むとよいでしょう。猫地蔵の御開帳の日など、訪ねるときの情報は発祥の地の記事にまとめています。
檀王法林寺の主夜神と黒猫
檀王法林寺の伝説は、夜を守る神「主夜神(しゅやじん)」の使いが黒猫だったという寺の伝えです。主夜神は、盗難や火災を防ぐ夜の守り神としてあがめられてきました。
寺の公式サイトは、闇夜に目を光らせる黒猫が、夜を守る神と結びついたのではないかと記しています。その結びつきから、主夜神尊の名を記した黒い招福猫が江戸の中期より作られてきたとされます。
この伝えは、豪徳寺や今戸の話と違い、猫が神の使いとして人を守るという信仰に根ざしたものでした。手招きの由来というより、黒い招き猫が魔除けとして選ばれてきた背景を知る手がかりになる話です。
つまり黒猫の伝説は、福を招く猫と、災いを防ぐ猫という二つの顔を招き猫に与えてきたのでしょう。黒い招き猫に込められた意味は、色の記事で詳しく扱っています。
夜を守る神の使いとされてきた黒猫は、いまも黒い招き猫として作り続けられています。伝説を知ったうえで、黒い一体を手元に迎えたいと考える人もいるでしょう。
株式会社日本招き猫総合研究所は、招き猫研究所の運営とあわせて「Luxen Maneki」というブランドを手がけています。黒の「浮世」は、瀬戸焼の窯で職人が金彩を手描きした一体です。
猫が顔を洗うと客が来るという言い伝え

手招きの姿には、顔をなでる猫を来客の前ぶれとみる言い伝えも重ねられてきました。その古い記録は、唐の時代の中国の書物に見つかります。
本物の猫が顔を洗ったり片手を上げたりする理由は、次の記事で獣医師の資料をもとに解説しています。
『酉陽雑俎』に残る一文
顔を洗う猫が客を呼ぶという言い伝えは、唐の時代の随筆集『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』に書きとめられました。続集の巻八に、「俗言貓洗面過耳則客至」という一文があります。
これは、猫が前足で耳を越えるほど顔を洗うと客が来るという、当時の世間の言い習わしを書きとめたものです。同じ箇所には、猫の目が時刻によって形を変えることなど、猫の性質も並んでいます。
一方で日本では、世界大百科事典(旧版)が、猫の像を店先に置く習わしはこの中国の故事から来ているという説を紹介しています。同じ項目では、関東でこの話が豪徳寺の飼い猫の報恩談として伝わるとしました。
つまり手招きの姿には、中国の言い伝えと日本の寺の伝説が重なっていると読めます。ただし、言い伝えが日本へ伝わった時期や経路を示す資料は見つかっていません。
伝説と記録を組み合わせて招き猫の起こりを考える視点は、由来の記事で詳しく紹介しています。中国の言い伝えと、中国や海外の招き猫との違いは、もう一つの記事で扱いました。
よくある質問
Q. 招き猫の元ネタになった話は何ですか?
A. 一つには決まっていません。豪徳寺で猫が井伊直孝を招いた話や、今戸で老婆の夢に猫が現れた話が代表的です。自性院で黒猫が太田道灌を導いた話も、元になった話の一つに数えられます。顔を洗う猫が客を呼ぶとする中国の言い伝えも、手招きの姿に重ねられてきました。
Q. 招き猫の伝説は本当にあった話ですか?
A. 史実として確かめられる記録はありません。伝説の多くは寺の縁起や土地の言い伝えとして語り継がれてきたもので、資料によって筋の細部も異なります。豪徳寺の再興や自性院の猫地蔵のように、伝説にゆかりのある寺やお堂は実在するため、物語として味わうのがよいでしょう。
Q. 伝説の舞台になった寺や神社はいまも訪ねられますか?
A. 訪ねられます。豪徳寺と自性院、今戸神社は東京に、檀王法林寺は京都市左京区にあり、いずれも参拝が可能です。自性院の猫地蔵は2月3日の節分会にしか御開帳されないなど、見られる日が限られるものもあります。出かける前に公式サイトで確かめましょう。
招き猫研究所がつくる招き猫「Luxen Maneki」
招き猫の伝説は、猫に福や縁を託してきた人々の願いを、いまに伝えています。物語を知るほど、手元に置く一体にも、由来を語れる確かさがほしいと感じる人は多いでしょう。
研究所の運営会社が届ける「Luxen Maneki」は、瀬戸焼の伝統窯で職人が金彩を手描きする招き猫です。大量生産ではなく、注文のたびに約4〜6週間をかけて一体を仕上げています。
届けるときは、特製の桐箱に納めています。桐は湿気を吸っては吐き、燃えにくい木であることから、かつては金庫の内箱にも使われていました。
まとめ
招き猫の伝説には、豪徳寺の井伊直孝の話、今戸の老婆の話、自性院の黒猫の話などがあります。どれも猫が人を招いたり導いたりして、福や縁をもたらしたと語る点で共通しています。
同じ伝説でも、資料によって雷雨・落雷・雨宿りなど筋の細部が異なるため、寺の縁起を基本に読むのが確かでしょう。
伝説の舞台となった寺や神社は、いまも訪ねることができます。招き猫を手に取るときは、どの伝説を思い浮かべるかを考えてみると、一体への愛着が深まるはずです。











