この記事でわかること
- 招き猫は前足で人や福を招く姿をかたどった猫の置物
- 発祥は豪徳寺・今戸など諸説あり、定説はない
- 猫が選ばれた背景にはネズミ除けと商家の文化がある
- 産地は愛知の常滑・瀬戸が中心で、形と表情が異なる
招き猫は、前足を上げて人や福を招く姿の猫の置物で、江戸時代から店先に飾られてきた縁起物です。発祥も意味もひとつには決まっておらず、寺社や産地、時代ごとに受け継がれてきました。
店先や玄関で見かけるあの猫が、いつ、どこで生まれたのかを考えたことはあるでしょうか。定義と由来、産地、出会える場所までを一通り知ると、目の前の一体がどこから来たのかを自分で語れるようになります。
辞典や寺社の公式サイト、図書館の調査記録をもとに、研究所が出典つきで整理しました。
招き猫とは
招き猫は、片方の前足を上げて人や福を招く姿をかたどった猫の置物で、縁起物の一種です。辞典の定義と意味の要点、他の縁起物との違いの3つを押さえると、招き猫の全体像がつかめます。
辞典が定める招き猫の定義
主要な辞典の説明をまとめると、招き猫は前足を上げ、客や財宝を招く縁起の置物です。4つの辞典に共通するのは、猫の置物であること、招く縁起をもつこと、客商売の場に飾られることの3点でした。
辞典ごとの招き猫の定義
| 辞典 | 定義のポイント |
|---|---|
| デジタル大辞泉 | 右または左の前足を上げ、人を招く格好をした猫の置き物。客や財宝を招く縁起から、客商売の家で飾る |
| 改訂新版 世界大百科事典 | 片前足を上げて座る猫の像で、縁起物の一種。人を招く姿に似ていることと、芸者の異名「ネコ」にちなみ、花街や飲食店で愛用された |
| 日本大百科全書 | 猫が前足を上げて人を招く形につくった縁起物の玩具。客を呼び込み福を招く縁起から、花柳界や飲食店で喜ばれる |
| ブリタニカ国際大百科事典 | 片方の前足で手招きする陶製や張り子の猫。人や財宝を招く商売繁盛の縁起から、客商売の家に飾られる |
名前の由来について、世界大百科事典は二つの見方を示しています。ひとつは手招きの姿が人を招く姿に似ているという見方で、もうひとつは芸者を「ネコ」と呼んだ異名にちなむ見方です。
そのため招き猫は、芸者が行き交う花街や飲食店で好んで飾られてきました。つまり招き猫は、見た目と呼び名の両方で客商売と結びついた縁起物といえます。
手・色・持ち物に込められた意味の要点
招き猫の願いは、上げた手・体の色・抱えた持ち物の3つに込められてきました。右手はお金を、左手は人を招くといわれ、色や持ち物にもそれぞれ願いが重ねられています。
招き猫の見た目と一般にいわれる意味
| 要素 | 一般にいわれる意味 |
|---|---|
| 手 | 右手はお金(金運)、左手は人やお客を招く |
| 色 | 白は開運招福、黒は厄除開運、赤は健康長寿、金色は金運満足(研究所の定義では、赤は病よけ、緑は健康長寿の色) |
| 持ち物 | 典型的な招き猫は小判を抱える |
ただし寺社によっては、一般的な意味と異なる教えを伝えるところもあり、豪徳寺はその代表です。豪徳寺の招福猫児(まねきねこ)は、右手を上げて小判を持たない姿です。この猫は福そのものではなく「縁」を招くと、寺は伝えています。
意味は決まりではないため、願いを託すための目安として捉えるとよいでしょう。手の左右や色ごとの由来は、研究所の別の記事で詳しく扱っています。
だるまや熊手と比べた招き猫の特徴
ほかの縁起物と並べると、招き猫は生きた動物のしぐさを形にした縁起物です。だるまは病除けの赤い色から、熊手は酉の市の農具から縁起物になりました。
だるま・熊手・招き猫のなりたち
| 縁起物 | もとになったもの | 広まった背景 |
|---|---|---|
| だるま | 邪気を払うとされた赤い色 | 江戸で疱瘡(天然痘)が流行し、赤く塗られただるまが病除けとして求められた |
| 熊手 | 酉の市で売られた実用の農具 | 江戸市中からの参拝者が増え、洒落のきいた縁起熊手へ変わっていったと伝わる |
| 招き猫 | 手招きする猫のしぐさ | 店先に人形を置いて客を呼ぶ風俗のなかで、商家や花街の入口に飾られた |
一方で招き猫は、身近な猫が手招きする姿そのものを縁起の形にしています。埼玉県立久喜図書館のレファレンス事例は、井上章一の文章を紹介しています。
そこでは、人形を店頭に置いて客を集める日本の風俗の象徴として、招き猫が挙げられました。つまり招き猫は、商いの入口で客を待つことを役目としてきた縁起物といえるでしょう。
招き猫の由来と発祥の諸説
招き猫の発祥を名乗る寺社や土地は複数あり、いずれも伝承にもとづくため定説はありません。辞典や図書館の調査記録をたどると、記録に残る事実と言い伝えを分けて見ることができます。
発祥について、わかっていること
- 代表的な説に豪徳寺説と今戸説があり、ほかに自性院説・金猫銀猫説がある
- 豪徳寺の逸話は寺の縁起と地名辞典に残り、人物事典には載っていない
- 今戸焼の丸〆猫は、招き猫の最も古い作例とされる
発祥とされる主な説
招き猫の発祥には複数の説があり、代表的な説に、豪徳寺説と今戸説があります。いずれも寺の縁起や土地の言い伝えにもとづいており、どれが正しいかを決める記録は見つかっていません。
民俗学者の島村恭則氏は、研究所の取材に「それぞれが発祥地として語っている、というくらいの態度でよい」と語っています。島村氏は、今戸と豪徳寺のどちらが先かは確定できないとも話しました。表の説も、どれか一つを正解と決めるより、土地ごとの伝承として並べて読むのが確かです。
招き猫の発祥とされる主な説
| 説 | 場所 | 伝わる内容 | 根拠の種類 |
|---|---|---|---|
| 豪徳寺説 | 東京・世田谷 | 彦根藩主の井伊直孝が門前の猫に招かれ、雷雨を避けた | 寺の縁起・地名辞典 |
| 今戸説 | 江戸・浅草(今戸) | 老婆の夢に現れた猫のお告げで土焼きの猫を作り、良いことが続いた。今戸焼の丸〆猫が残る | 観光団体が紹介する言い伝え・辞典 |
| 自性院説 | 東京・西落合 | 太田道灌を導いた黒猫の話が伝わる「猫寺」 | 書籍(図書館のレファレンス事例による) |
| 金猫銀猫説 | 江戸・両国 | 天明年間(1781〜89年)、「金猫銀猫」という店が金銀に彩色した招き猫を店頭に飾った | 日本大百科全書 |
なお金猫銀猫説は、日本大百科全書が江戸の両国の店を起こりとして紹介する説です。ほかの出典では確かめられていないため、研究所では説のひとつとして扱っています。
そのため、発祥は一か所に決めず、説ごとの根拠とあわせて捉えるのが確かな読み方でしょう。三つの説の文化的な背景は、発祥の地をテーマにした記事で掘り下げました。
豪徳寺の招福猫児と井伊直孝
豪徳寺説は、井伊直孝が猫に招かれて雷雨を避けたという寺の縁起にもとづきます。寺の公式サイトによると、鷹狩りの帰りに門前の猫に手招きされた直孝は、寺に立ち寄って難を逃れました。
直孝の支援を受けた豪徳寺は、寛永10年(1633年)に再興しています。その後、福を招いた猫を「招福猫児」と呼んで祀る招福殿が建てられたと、寺は伝えています。
あわせて、豊中市立図書館のレファレンス事例は、この話がどの資料に載っているかを調べました。人物事典の『国史大辞典』では、井伊直孝の項に逸話は書かれていなかったといいます。
一方で地名辞典の『日本歴史地名大系13』は、もと弘徳院だった寺が寛永10年に井伊家の江戸菩提寺となったと記しています。同じ項には招き猫の伝説も記され、逸話は人物ではなく寺と土地の記録に残っているのです。
世田谷デジタルミュージアムも、招き猫ゆかりの地として豪徳寺を紹介しています。豪徳寺説は、寺の縁起と地名辞典の両方から跡をたどれる説といえるでしょう。
境内のどこに招き猫がいるのか、なぜこれほど集まるのかは、豪徳寺の記事にまとめています。
今戸焼の丸〆猫と浅草の老婆の話
今戸説は、浅草の老婆の話と今戸焼の丸〆猫の二つにもとづく説です。愛知県の公式観光サイトと常滑市観光協会は、江戸時代の浅草の話としてこれを紹介しています。
老婆が夢に現れた猫のお告げに従い、土焼きの猫の置物を作ると、良いことが続いたという話でした。この話から招き猫が評判になったと、両サイトは伝えています。
一方で、形として残る古い招き猫が、今戸焼の「丸〆猫」です。座って片前足を上げた今戸人形で、尻に「〆」を丸で囲んだ字が入っています。
デジタル大辞泉プラスでは、招き猫の作例のなかで最も古いものと位置づけられました。江戸東京博物館も今戸人形の丸〆猫を所蔵しており、公立の博物館の記録でも実物を確かめられます。
つまり今戸説は、言い伝えと形の残る土人形の両方から語られてきた説です。
今戸焼の招き猫がどのように作られ、愛されてきたのかは、今戸焼の記事で紹介しています。
ここで挙げた説を含め、招き猫の起源に関わる12の説を典拠つきで整理した資料が、招き猫研究所 資料室の「招き猫の起源 諸説一覧」です。
招き猫が猫である理由
猫が縁起物になった背景には、ネズミを捕る益獣として暮らしに欠かせなかった歴史があります。あわせて、猫が顔を洗うと客が来るという言い伝えも、手招きの形と結びつけて語られてきました。
ネズミを捕る益獣としての猫
猫が招き猫になった理由のひとつは、ネズミを捕る益獣として暮らしを守ってきたことです。東京大学の広報誌『淡青』は、豊臣秀吉の時代の公家の日記に、猫の貸し借りの記録があると紹介しています。
さらに慶長7年(1602年)には、京都で猫の綱を解き、放し飼いにするよう命じる高札が立てられました。増えたネズミへの対策として出された命令だと、美術史家の山本陽子氏も研究所の取材で話しています。
養蚕の盛んな土地では、蚕を食べるネズミを捕る猫が、蚕の神としてまつられてきました。青梅市中央図書館のレファレンス事例によれば、この信仰は『養蚕秘録』(享和3年・1803年刊)にも記されています。
埼玉県では、養蚕家がネズミよけに猫の絵や札を使っていたことが『新編埼玉県史』に記されました。日本大百科全書も、関東の達磨市で張り子の招き猫が売られ、農家がネズミ除けに求めたと伝えます。
つまり招き猫の猫には、暮らしと商いを守る働き手としての顔もありました。
猫が獲物に前足を出すしぐさや顔を洗うしぐさが招き猫の形とどうつながるかは、次の記事で紹介しています。
「猫が顔を洗うと客が来る」という言い伝え
手招きの形には、猫が前足で顔をこすると客が来るという言い伝えが重ねられてきました。世界大百科事典(旧版)は、この言い伝えを中国の故事に由来するものとして紹介しています。
同じ項目では、猫の像を店先に置く習わしを江戸時代からのものとしました。そのうえで関東では、豪徳寺の飼い猫の恩返しの話として伝わると記されています。
つまり、顔を洗う猫のしぐさと寺の縁起という二つの話が、ひとつの手招きの形に結びつけて語られてきたのです。ただし、この故事は辞典が紹介する説のひとつで、手招きの起こりを決めるものではありません。
どの話も、店に客を呼びたいという願いに行き着く点は共通しています。
中国の言い伝えや海外の招き猫との違い、猫が選ばれた理由などの雑学は、次の記事で紹介しています。
研究者が読む招き猫の姿
研究所の監修者は、招き猫を「かわいい縁起物」とひとくくりにしない見方を示しています。美術史の山本陽子氏は、「かわいさと縁起物としての機能は、別の話」と指摘しました。
取材記事では、招く猫の形がいつ、誰によって最初に作られたかには諸説があり、今も確定していないとまとめています。
一方で浮世絵研究の大久保範子氏は、招き猫の赤いリボン(首輪)に注目しています。貴族が紐をつけて飼った唐猫(からねこ:中国から伝わった猫)の記憶が、赤い首輪として絵に受け継がれたという見立てです。
どちらの見方も、招き猫の姿の一つひとつに長い文化の積み重ねがあることを教えてくれるでしょう。お二人の話の全体は、それぞれのインタビュー記事で読めます。
江戸から現代までの招き猫の歴史
招き猫は江戸の店先と花街で広まり、明治以降は愛知の瀬戸と常滑の量産で全国へ行き渡りました。土人形から磁器、陶器へと素材が移るにつれて、招き猫の姿も変わってきたのです。
江戸時代は商家と花街の縁起物
江戸時代の招き猫は、正月に買って店の入口に飾る縁起物でした。世界大百科事典によると、花街や飲食店で好まれ、猫には福をもたらす霊力があると信じられていました。
日本大百科全書は、その後に浅草の今戸で土製の招き猫が盛んに作られ、今戸焼を代表する品になったと記しています。店の入口は客を迎える場所であり、招き猫はそこで手招きする役目を担いました。
民俗学者の飯倉義之氏は、研究所の取材に「江戸っ子なんかは特に流行りが大好きなので、招き猫を飾ったらご利益があったなんていうと」と語り、評判を聞いた人が次々に飛びついたと説明しています。招き猫は一時の流行りで終わらず、定番として根づいて文化になったというのが飯倉氏の見方です。江戸の商家に招き猫が広まった背景には、こうした評判の力もあったのでしょう。
つまり江戸の招き猫は、寺の縁起と商家の習わし、今戸の土人形が重なって広まったといえます。
明治以降は瀬戸と常滑で量産
明治以降、招き猫は愛知県の瀬戸と常滑で量産されるようになります。愛知県の公式観光サイトによれば、瀬戸は明治30年代に、磁器の招き猫を日本ではじめて量産した産地です。
一方で常滑は、瀬戸より約50年遅れて招き猫づくりを始めました。研究所の取材でも、常滑で招き猫づくりが本格化したのは昭和20年前後と伺っています。
招き猫の歴史の流れ
| 時代 | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 江戸時代 | 正月に買って店の入口に置く風が広まる。浅草の今戸で土製の招き猫が盛んに作られる | 世界大百科事典・日本大百科全書 |
| 明治30年代 | 瀬戸で磁器の招き猫の量産が始まる | 愛知県公式観光サイト |
| 昭和20年前後 | 常滑で招き猫づくりが本格化し、丸い頭と二頭身の形が生まれる | 常滑市観光協会・研究所の取材 |
常滑市観光協会によると、昭和20年代に梅月冨本人形園の三代目と原型師が、丸い頭とずん胴の招き猫を生み出しました。その姿は全国に広まり、常滑の招き猫の基本形になっています。
そのため、いま身近にある招き猫の多くは、明治以降に愛知で育ったやきものの技術に支えられているのです。海外へ広がるまでの歩みは、歴史の記事で年代順にたどりました。
室町時代の寺社の伝承から令和まで、招き猫の歩みを31の出来事で年代順にたどるなら、招き猫研究所 資料室の「招き猫年表」が便利です。
招き猫の種類と産地
招き猫は素材と作り方によって姿が変わり、現在は愛知県の常滑と瀬戸が二大産地とされています。なかでも常滑系と瀬戸系は、形も表情も大きく異なるのが特徴です。
種類と産地の要点
- 素材と作り方で、陶器・磁器・土人形・張り子に分かれる
- 常滑系は陶器で二頭身、瀬戸系は磁器でスリム
- 常滑系は全国の約8割を占めるといわれる
素材と作り方による種類
招き猫には、素材と作り方によって陶器・磁器・土人形・張り子などの種類があります。やきものの産地が愛知に集まる一方で、江戸の今戸の土人形や関東の張り子の招き猫も受け継がれてきました。
素材と作り方による招き猫の種類
| 種類 | 素材・技法 | 主な産地・場面 |
|---|---|---|
| 陶器 | 陶器のやきもの。二頭身でふっくらした姿が多い | 常滑焼(愛知県常滑市) |
| 磁器 | 磁器のやきもの。スリムな姿や細かな表現が得意 | 瀬戸焼(愛知県瀬戸市) |
| 土人形 | 土製の人形 | 今戸焼(江戸・浅草の今戸) |
| 張り子 | 型に紙を重ねて作る技法 | 関東の達磨市 |
やきものの招き猫は、型を使って形を作ります。研究所の取材によると、常滑の梅月冨本人形園は泥漿(でいしょう:液体状の粘土)を石膏型に流し込んでいます。
外側から固まったところで中を抜いて空洞を作る工程は、今も変わらず続けられているそうです。そのため、同じ型から同じ形の招き猫を数多く作れるのです。
このほか、九谷焼(石川県)や有田焼(佐賀県)の招き猫は、産地ごとの記事で紹介しています。
常滑系と瀬戸系の違い
愛知の二大産地の招き猫は、常滑系は陶器で二頭身、瀬戸系は磁器でスリムな姿が特徴です。常滑系は全国の約8割を占めるといわれ、ふっくらした形が広く親しまれてきました。
常滑系と瀬戸系の招き猫の違い
| 項目 | 常滑系 | 瀬戸系 |
|---|---|---|
| 素材 | 陶器 | 磁器 |
| 姿 | 大きな耳、丸い顔、大きな目の二頭身 | 生きた猫に近いスリムな姿。前掛けのフリルなど細かな表現 |
| 持ち物 | 大きな小判を抱えるものが多い | 決まった形がなく、ポーズや表現がさまざま |
| 量産の始まり | 昭和20年前後 | 明治30年代 |
一方で瀬戸系は形の決まりが少なく、作り手ごとの表現の幅が広いことが持ち味でしょう。研究所が取材した瀬戸のフジコウセラミックも、鋳込みや転写絵付け、金付けなど幅広い製造を担う窯元でした。
常滑では、梅月冨本人形園が三代にわたって招き猫づくりを続けています。どちらが優れているかではなく、ふっくらした愛嬌か、すらりとした上品さかで好みを選ぶとよいでしょう。
それぞれの産地の成り立ちや窯元の話は、常滑焼と瀬戸焼の記事で詳しく紹介しています。
瀬戸は、明治30年代から磁器の招き猫を作ってきた産地です。その瀬戸で、いまどんな一体が作られているのかが気になる人もいるでしょう。
Luxen Manekiは、招き猫研究所を運営する株式会社日本招き猫総合研究所のブランドです。瀬戸焼の伝統窯の職人が金彩を一体ずつ手で描き入れ、注文から約4〜6週間かけて仕上げています。
招き猫に出会える場所
招き猫には、寺社の授与品や奉納、産地のまちなみ、祭りで実物に出会えます。日程などの実用情報は、2026年10月時点の各公式サイトの情報によるものです。
豪徳寺の招福殿と奉納所
東京・世田谷の豪徳寺では、奉納された数多くの招福猫児を境内で見ることができます。招福殿は、開運招福や商売繁盛、家内安全を願う人が多く参詣する場所です。
奉納の決まりは特にないものの、願いが叶ったあとで招福猫児を納める人が多いと寺は伝えます。招福猫児の置物や御守りは社務所で授けており、絵馬にも干支とともに招福猫児が描かれました。
三重塔に飾られた猫を探しながら境内を歩くのも、豪徳寺ならではの楽しみ方です。なお、授与品の値段や受付時間は変わることがあるため、参拝前に公式サイトで確認してください。
出典:豪徳寺「豪徳寺と招き猫」
瀬戸と常滑の招き猫のまち
愛知県の瀬戸と常滑では、まちを歩くだけで招き猫に出会えます。
瀬戸と常滑で招き猫に出会える場所
| まち | 場所 | 見どころ |
|---|---|---|
| 瀬戸 | 来る福招き猫まつり in 瀬戸 | 毎年9月末の土日に開催。2026年は9月26日・27日に第31回が開かれた |
| 常滑 | とこなめ招き猫通り | 巨大な招き猫「とこにゃん」と、作家による陶製の招き猫39体 |
常滑のとこなめ招き猫通りでは、壁の上から巨大な招き猫「とこにゃん」が顔をのぞかせます。大きさは高さ3.8m・幅6.3mで、通りには地元ゆかりの作家による陶製の招き猫も並んでいます。
一方で瀬戸の祭りは、毎年9月末の土日に開かれてきました。産地の招き猫を見比べると、常滑系と瀬戸系の違いが実物でわかるでしょう。
招き猫ゆかりの寺社と祭り
東京と愛知のほかにも、招き猫を授かれる寺社や、招き猫を祝う祭りがあります。大阪の住吉大社は、毎月最初の辰の日に「初辰(はったつ)まいり」をおこないます。
この日は、境内の楠珺社(なんくんしゃ)で招き猫が授与される日です。三重県伊勢市のおかげ横丁では、招き猫の記念日にあわせて「来る福招き猫まつり」が開かれてきました。
おかげ横丁の祭りは、2026年で第32回を数えます(2026年10月時点)。なお、授与の日程や祭りの内容は年ごとに変わるため、出かける前に各公式サイトで確かめましょう。
寺社の招き猫は、その寺社が伝える由来とあわせて迎えると、縁起物としての意味が深まります。全国の招き猫ゆかりの神社や寺は、別の記事でまとめて紹介しました。
招き猫の選び方と飾り方
招き猫を選ぶときは、「何を願うか」「どこに置くか」「誰が作ったか」の3つで考えると迷いません。細かな作法は個別の記事に譲り、判断の軸だけを表にまとめました。
願いと置く場所から選ぶ
招き猫は、願いと置く場所、作り手の3つをそろえて選ぶと、迎える意味がはっきりします。
招き猫を選ぶときの3つの軸
| 考える軸 | 目安 | 補足 |
|---|---|---|
| 願い | お金や商売なら右手、人や縁なら左手といわれる | 寺社の授与品は、その寺社が伝える意味に従う |
| 置く場所 | 店では入口に置く風があった | 正月に買い求めて店の入口に置く習わしが伝わる |
| 作り手 | 産地・素材・作り方を確かめる | 常滑系は陶器、瀬戸系は磁器 |
願いについては、右手と左手の一般的な意味を目安にしつつ、寺社の招き猫は寺社の案内を優先しましょう。置く場所は、店の入口に置く風があったと世界大百科事典が伝えています。
そのうえで、産地や素材、手描きかどうかまで確かめると、由来を語れる一体を選べるはずです。つまり、意味を決まりとして覚えるより、自分の願いに合う理由を持って選ぶことが大切でしょう。
願いから逆算する選び方は、選び方の記事で詳しく紹介しています。
よくある質問
Q. 招き猫は縁起が良いとされていますか?
A. はい。客や財宝を招く縁起物として、江戸時代から商家や花街、飲食店に飾られてきました。豪徳寺の縁起や、猫が顔を洗うと客が来るという言い伝えなど、背景には複数の話があります。置くだけで願いが叶うものではなく、願いを託す存在として大切にされてきました。
Q. 招き猫の日はいつですか?
A. 9月29日です。「来る福(くるふく)」と読めることから招き猫の記念日として制定され、日本記念日協会に認定されています。この時期には、三重県伊勢市のおかげ横丁や愛知県瀬戸市で招き猫の祭りが開かれます。日程は年ごとに変わるので、各公式サイトで確認してください。
Q. 豪徳寺の招き猫にはどんなご利益がありますか?
A. 豪徳寺の招福猫児は、開運招福や家内安全、商売繁盛を願う人に親しまれています。寺によると、招福猫児は人との縁を招くものの、福そのものを与えるわけではありません。縁を生かせるかはその人次第という教えから、小判を持たずに右手を上げた姿です。
招き猫研究所がつくる招き猫「Luxen Maneki」
招き猫は、寺の縁起や今戸の土人形、瀬戸と常滑の窯が、時代ごとに受け継いできた縁起物です。せっかく迎えるなら、由来まで語れる一体を選びたいと思いませんか。
研究所がつくる「Luxen Maneki」は、瀬戸焼の伝統窯の職人が金彩を一体ずつ手描きする招き猫です。手頃な招き猫との違いは、注文を受けてから約4〜6週間かけて仕上げる受注生産にあります。
お届けには特製の桐箱を用いており、桐は湿気を吸って吐き、燃えにくいことから金庫の内箱にも使われてきた木です。
まとめ
招き猫は、前足を上げて人や福を招く姿をかたどった猫の置物です。発祥には豪徳寺説や今戸説などがあり、どれかひとつに決まってはいません。
猫が選ばれた背景には、ネズミを捕る益獣としての役割と、店先に人形を置いて客を呼ぶ商家の文化があります。明治以降は愛知の瀬戸と常滑で量産が進み、いまの二大産地になりました。
意味を詳しく知りたいなら意味の記事へ、実物に会いたいなら豪徳寺や瀬戸・常滑へ足を運んでみましょう。迎えるときは、願い・置く場所・作り手の3つで選ぶと、由来を語れる一体に出会えるはずです。


















