この記事でわかること
- 九谷焼の招き猫は、五彩の上絵付けで彩る石川県の磁器
- 古九谷は有田で学んだ技術から始まり、19世紀に再興した
- 古い品の年代は、作風の名前と来歴を手がかりに確かめる
- 能美市の美術館や秋の茶碗まつりで九谷焼に出会える
九谷焼の招き猫は、石川県で生まれた色絵磁器の技で作られる招き猫です。白い磁器の肌に、緑・黄・赤・紫・紺青の五彩を筆で重ねる上絵付けが、九谷焼ならではの見どころです。
骨董店で古い九谷焼の招き猫を見かけ、いつごろの品なのか気になった人もいるでしょう。九谷焼の成り立ちと作り方を知ると、一体の絵付けから読み取れることが増えていきます。
この記事は、伝統的工芸品の解説や能美市の美術館、産地の組合が公開している情報をもとにまとめました。九谷焼の歴史から、古い品の見方、実物に出会える場所までを順に紹介します。
九谷焼の招き猫とは

九谷焼の招き猫は、手描きの五彩で彩られた磁器の置物です。九谷焼が何を大切にしてきたやきものかを押さえると、招き猫の絵付けがなぜ華やかなのかが見えてくるでしょう。
九谷焼の招き猫の要点
- 九谷焼は石川県の磁器で、上絵付けに持ち味がある
- 伝統的工芸品の九谷焼は、手描きで九谷五彩を使う
- 置物は手びねりや型への流し込みで形をつくる
五彩の上絵付けで彩る磁器の招き猫
九谷焼の招き猫の特徴は、焼き上げた磁器の上に色絵具で描く上絵付けにあります。伝統的工芸品を紹介する青山スクエアは、九谷焼の本来の持ち味を多色の上絵付けにあると説明しています。
九谷焼の概要
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 分類 | 磁器(陶石を原料とするやきもの) |
| 持ち味 | 五彩の和絵具による上絵付け |
| 五彩 | 緑・黄・赤・紫・紺青 |
| 素地 | やや青みを帯び、上絵の色を引き立てる |
| 主な製品 | 花器、食器、茶器、置物、酒器 |
| 主要な製造地域 | 石川県金沢市、小松市、加賀市、能美市 |
五彩が鮮やかに見えるのは、色が焼成の熱で生まれる仕組みのためです。職人は、まだ発色していない絵具を黒い線描きの上に厚く置いていきます。
そのあと上絵窯で焼くと、絵具が発色してガラス質に変わり、白い磁器の上で色が立ち上がるのです。つまり九谷焼の華やかさは、筆の技と窯の熱の両方から生まれています。
伝統的工芸品として九谷焼を名乗るには、手描きの絵付けと、九谷五彩の全部か一部を使うことが条件です。
だるまが張り子の人形として辞書に説明されるのに対し、招き猫は土人形から磁器まで、素材を変えて各地で作られてきました。全国の産地ごとの違いは、産地をまとめた記事で比べました。
置物を形づくる工程と分業
九谷焼の置物は、土づくりから上絵の焼成まで、いくつもの工程を経て完成します。能美市九谷焼美術館は、置物のような複雑な形は手びねりなどで作ると説明しています。
九谷焼ができるまでの主な工程
| 工程 | 内容 |
|---|---|
| 土づくり | 小松市花坂の陶石を砕き、水に浸して鉄分などを除く |
| 成形 | 丸い器はろくろ、置物など複雑な形は手びねりや型で作る |
| 素焼き | 約800度で焼く |
| 下絵付け・施釉 | 呉須(ごす:藍色に発色する絵具)で描き、釉薬をかける |
| 本窯 | 1300度の高温で長時間焼く |
| 上絵付け・上絵窯 | 五彩の絵具を置き、800〜1000度で焼き付ける |
角形など複雑な形には、鋳込みという方法も使われるのです。石膏の型に泥漿(でいしょう:水で溶いてどろどろにした粘土)を流し込んで形をつくります。そのため招き猫のような置物も、成形の方法は作り手によって異なるでしょう。
あわせて九谷焼には、素地を焼く窯と上絵を焼く窯を分ける分業の歴史があります。江戸時代後期、能美市佐野で窯を開いた斎田道開が、上絵窯と素地窯を分けたのが始まりだと美術館は紹介しています。
フジコウセラミック(瀬戸市)の藤井さんへの取材でも、似た話を聞きました。かつては瀬戸で焼き上げた品の上絵付けを名古屋側が受け持ち、港から送り出していたそうです。
磁器の置物は、一人の職人だけでなく産地の分業に支えられてきたといえるでしょう。藤井さんの話の全体は、インタビュー記事で読めます。
九谷焼の歴史と招き猫
九谷焼は、17世紀半ばに始まり、一度途絶えてから19世紀に再興したやきものです。その歩みの中には、招き猫とのかかわりを示す記録も見られるのです。
古九谷から再興九谷までの歩み
九谷焼の始まりは、1655年(明暦元年)ごろに大聖寺藩が開いた窯とされています。能美市九谷焼美術館と九谷焼の組合連合会が、ともにこの年を挙げて歴史を紹介しています。
九谷焼の主な歩み
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1655年(明暦元年)ごろ | 大聖寺藩が九谷村(現在の加賀市)に窯を開く。この時期の作品が古九谷 |
| 17世紀末〜18世紀初め | 古九谷の窯が閉じられる。理由はわかっていない |
| 19世紀はじめ(文化年間) | 加賀藩が金沢に窯を開き、再興九谷の時代が始まる |
| 江戸時代後期 | 吉田屋窯や宮本屋窯など、画風の異なる窯が次々に生まれる |
| 明治時代 | 九谷庄三らの作風が好まれ、海外へ大量に輸出される |
古九谷を生んだ技術は、佐賀県の有田から持ち帰ったものでした。大聖寺藩の初代藩主は、九谷の金山で陶石が見つかると、家臣を肥前有田へ送って製陶を学ばせたと伝えられます。
一方で、古九谷と呼ばれてきた色絵の一部は、有田で焼かれたものではないかという説もあるのです。青山スクエアの解説も、この論争にはまだ結論が出ていないと伝えています。
つまり九谷焼と有田焼は、始まりから深く結びついた磁器の産地です。有田焼と伊万里焼の招き猫については、別の記事でまとめました。
招き猫と九谷焼の接点
九谷焼の招き猫は、愛好家の団体が認める産地の招き猫です。日本招猫倶楽部は、招き猫の主な産地として、瀬戸市・常滑市などとともに石川県の金沢市と小松市を挙げています。
金沢と小松は、どちらも九谷焼の主要な製造地域に数えられる町です。しかも金沢は、19世紀はじめに九谷焼が再興したとき、加賀藩が窯を開いた土地でもありました。
あわせて朝日新聞の「sippo」の年表には、大正時代に九谷焼の招き猫が輸出されたという記録もあります。ただし、ほかの資料ではこの年代を確かめられていません。
明治の九谷焼は「ジャパンクタニ」の名で海外へ送り出されたと、金沢九谷振興協同組合は紹介しています。招き猫の輸出も、こうした海外向けのやきものづくりと地続きだった可能性があるでしょう。
招き猫が江戸で生まれ、各地の産地へ広がった道のりは、歴史の記事で順を追って紹介しました。
アンティークの九谷焼の招き猫を見るときの手がかり

古い九谷焼の招き猫は、作風の名前と来歴を組み合わせて読むことが大切です。年代や値打ちを一目で決められる公的な基準は、研究所が調べた範囲では見つかっていません。
作風の名前から時代の流れを読む
九谷焼の絵付けには、窯や名工の名前で呼ばれる作風があります。作風ごとに生まれた時代が異なるため、古い品を調べるときの手がかりになります。
九谷焼の主な作風
| 作風 | 特徴 | 生まれた時代 |
|---|---|---|
| 古九谷 | 五彩を使った大胆な構図。赤を使わず塗り埋める青手もある | 江戸時代前期 |
| 木米 | 全面に赤をほどこし、人物を中心に描く中国風の上絵 | 再興九谷(江戸後期) |
| 吉田屋 | 赤を使わず四彩で器の全面を塗り埋める | 再興九谷(江戸後期) |
| 飯田屋 | 赤で人物を細かく描き、小紋で埋めて金を加える | 再興九谷(江戸後期) |
| 永楽 | 赤で下塗りした上に金だけで彩る金襴手 | 再興九谷(江戸後期) |
| 庄三 | 各様式を取り入れた彩色金襴手。洋絵具も使う | 明治以降の主流 |
たとえば庄三の作風は、輸入が始まったばかりの洋絵具を早くから取り入れ、明治の貿易品として好まれました。そのため明治以降の産業としての九谷焼では、この作風が大きな割合を占めています。
江戸後期には、宮本屋窯の絵付師・飯田屋八郎右衛門が赤絵の金襴手を完成させました。これが評判を呼び、九谷の赤絵が流行するきっかけになったと日本大百科全書は伝えています。
もっとも、これらは器の絵付けを中心に整理された呼び名です。招き猫の絵付けがどの作風に近いかは、年代を決める証拠ではなく、調べ始める入口と考えましょう。
年代と来歴の確かめ方
古い九谷焼の招き猫を迎えるときは、売り手に来歴を尋ね、実物を見比べることが確かな方法です。専門家でも、古い招き猫の産地を言い切れない場合があるためです。
日本招猫倶楽部が復刻した「おもなが招き猫」は、その一例でしょう。面長の顔立ちの古い招き猫で、同倶楽部は古瀬戸または九谷焼と推定するにとどめています。
あわせて、古い型を今の窯で焼き直した復刻品も、愛好家向けに作られてきました。形が古いからといって、作られた年代も古いとは限らないのです。
古い招き猫の系統の見分け方と、瀬戸の招き猫は、それぞれの記事で紹介しました。
九谷焼に限らず、古い招き猫を素材や所蔵品から見分ける方法は、アンティークの招き猫の記事で紹介しています。
古い一体の来歴を確かめるように、新しく迎える招き猫も、どこの土で誰が描いたのかを知りたくなるものです。その問いに作り方で答えるブランドの一つが「Luxen Maneki」でしょう。
発売元は、招き猫研究所を運営する日本招き猫総合研究所という会社です。瀬戸焼の招き猫で、金彩は伝統窯の職人が一体ごとに筆で施しています。
九谷焼の招き猫に出会える場所
九谷焼の産地では、能美市の美術館と、九谷焼の会社が集まる九谷陶芸村で実物に触れられます。表の時間と日程は、2026年10月時点で各公式サイトに載っていた内容です。
能美市九谷焼美術館と九谷陶芸村
能美市九谷焼美術館は、九谷焼の歴史を学ぶ館と体験の館などを合わせた施設です。江戸時代から続く名品の常設展示があり、作風の違いを実物で確かめられます。
能美市九谷焼美術館の利用案内(2026年10月時点)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開館時間 | 9時〜17時(展示館の入館は16時30分まで) |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、展示替えの臨時休館 |
| 入館料 | 一般430円(五彩館・浅蔵五十吉記念館の共通券)、高校生以下は無料 |
| 交通 | JR小松駅から車で約15分、金沢駅から車で約45分 |
出典:能美市九谷焼美術館「ご利用案内」
出典:能美市九谷焼美術館「アクセス」
美術館のある九谷陶芸村には、九谷焼を扱う会社の展示販売の店が集まっています。若い職人の仕事を見学できる職人工房もあり、絵付けの手元を間近に見られるのも魅力です。
なお、招き猫を置いているかどうかは店や時期によって変わります。招き猫を目当てに訪ねるなら、事前に問い合わせておくと安心でしょう。
九谷陶芸村まつり(秋の茶碗まつり)
九谷焼をまとめて見比べるなら、九谷陶芸村で開かれる茶碗まつりが機会になります。九谷焼の組合連合会によると、毎年5月に「九谷茶碗まつり」が開かれています。
九谷陶芸村まつり(秋の茶碗まつり)の日程(2026年10月時点)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開催日 | 2026年10月17日(土)・18日(日) |
| 時間 | 9時〜16時 |
| 会場 | 九谷陶芸村(石川県能美市泉台町南22) |
| 出店 | 32店(2026年度) |
出典:石川県陶磁器商工業協同組合「九谷陶芸村まつり(秋の茶碗まつり)2026」
出典:石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会
2026年度の出店案内には、招き猫やふくろうなど縁起の置物を多くそろえる店も載っていました。器を中心に、作家の作品から日用の品までが並ぶため、九谷焼の幅を一度に知ることができます。
ただし、出店する店や品ぞろえは年によって変わります。訪ねる年の公式の案内で、日程と出店者を確かめてください。
通販や専門店も含めた招き猫の買い方は、別の記事で場所ごとに比べました。
よくある質問
Q. 九谷焼の招き猫は金沢にありますか?
A. 金沢市は九谷焼の主要な製造地域の一つで、日本招猫倶楽部も金沢市を招き猫の主な産地に挙げています。市内には九谷焼の専門店や窯元の作家でつくる組合もあります。ただし店ごとに扱う品は異なるため、招き猫の有無は訪ねる前に確かめましょう。
Q. 九谷焼は陶器ですか、磁器ですか?
A. 九谷焼は陶石を原料とする磁器です。伝統的工芸品の解説によると、陶石を砕いた粘土で形を作り、本窯で1300度まで焼き上げます。そのうえに上絵付けをして完成させるのです。土を焼き締める陶器の常滑焼とは、原料から異なります。
Q. 九谷焼の絵付けを体験できますか?
A. 能美市九谷焼美術館の体験館で、白磁の器に九谷焼の絵具で絵付けをする体験ができます。所要時間は約1時間で、焼き上がった品は後日の発送か、受け取りに出向くかを選ぶ仕組みです。料金は器によって異なるため、事前に美術館へ問い合わせてください。
招き猫研究所がつくる招き猫「Luxen Maneki」
九谷焼の招き猫を知ると、手で描かれた絵付けの一筆一筆に目が向くようになります。色絵の一体にひかれても、誰がどこで仕上げたのかわからないと、迎える決め手に欠けると感じるのではないでしょうか。
研究所が手がける「Luxen Maneki」は、六古窯の一つ・瀬戸焼の招き猫です。金彩は伝統窯の職人の手描きで、受注生産のため一点ずつ仕上がるまでに約4〜6週間を見込みます。
届けるときは、特製の桐箱に納めています。桐は湿気を吸って吐く性質をもつうえ燃えにくく、かつては金庫の内箱にも選ばれた木です。
まとめ
九谷焼の招き猫は、五彩の上絵付けで彩る石川県の磁器の招き猫です。17世紀半ばに有田で学んだ技術から古九谷が生まれ、一度途絶えたのち、19世紀に金沢で再興しました。
古い一体を迎えるときは、作風の名前と来歴を手がかりにし、形だけで年代を決めないようにしましょう。
実物に触れたいなら、能美市九谷焼美術館や九谷陶芸村の茶碗まつりを訪ねてみてください。絵付けの手元と作風の違いを知るほど、九谷焼の招き猫を選ぶ目が育っていきます。







