招き猫の歴史とは?起源・発祥から江戸〜明治の広がり、常滑・瀬戸と現代まで解説

招き猫の基礎知識
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店先で手を挙げる猫の姿は、いまや日本を代表する縁起物のひとつです。
しかし、「招き猫の歴史はいつから始まったのか」と問われると、明確にひとつの答えを示すことはできません。

江戸時代の寺院伝説、町人文化の中で広まった土人形、明治以降の量産化、そして現代の観光・インバウンド需要まで。
招き猫は、特定の人物や出来事によって生まれたというよりも、時代ごとの暮らしの中で少しずつ形を整えてきた存在です。

この記事では、

  • 招き猫はいつ頃から現れたのか
  • 発祥とされる寺院や伝承とは何か
  • 江戸から明治にかけてどのように広がったのか
  • 常滑や瀬戸などの産地とどう結びついていったのか
  • そして現代ではどのような存在になっているのか

を、史料・伝承・産地の流れをもとに整理していきます。

「かわいい置物」でも、「単なる商売繁盛の飾り」でもない。
招き猫は、日本の民間信仰と町人文化、そして焼き物産地の歴史が交差して生まれたものです。

まずは、江戸時代にさかのぼり、
招き猫の最初期の姿から見ていきましょう。

招き猫の起源はいつ?はじまりの物語

招き猫は、いつから存在しているのでしょうか。

明確な「発明者」や「誕生日」が記録されているわけではありません。しかし、文献や美術資料をたどると、江戸時代後期(18〜19世紀)にはすでに“福を招く猫”が広く認識されていたことがわかります。

招き猫は、突然生まれたものではありません。
江戸という都市文化の成熟のなかで、猫という動物に意味が重ねられ、やがて「福を招く象徴」として形になっていきました。

ここでは、そのはじまりを3つの視点から見ていきます。

江戸時代に現れた「猫が福を招く」伝承

江戸時代に現れた「猫が服を招く」伝承について、以下を紐解いていきます。

  • 豪徳寺伝説
  • 今戸焼の猫
  • 猫と武士・町人文化の関係

豪徳寺伝説

招き猫の起源としてよく知られるのが、東京・豪徳寺に伝わる逸話です。

門前にいた猫が手招きをし、大名を寺に導いた。
直後に雷雨が起こり、その大名は難を逃れたという物語です。

この話は後世に整えられた伝承と考えられていますが、
重要なのは、「猫が人を導く存在」として語られていたという点です。

猫が偶然そこにいただけではなく、
“招いた”と解釈されたことに、すでに象徴性が生まれています。

今戸焼の猫

江戸時代後期には、浅草・今戸地区で焼かれた「今戸焼」の土人形に、猫の置物が見られるようになります。

素朴な白い猫の人形は、庶民の手の届く価格帯で売られ、
縁起物として流通していたと考えられています。

この今戸焼の猫が、現在の招き猫の原型のひとつとされています。

猫と武士・町人文化の関係

猫は江戸時代、単なる愛玩動物ではありませんでした。

  • 穀物を守るネズミ除け
  • 養蚕業を支える存在
  • 商家や蔵を守る動物

とくに町人文化が発達した江戸では、
「商売を守る動物」としての猫の価値が高まっていきます。

武士階級にも猫を愛好する文化はありましたが、
招き猫が広がったのは、商売繁盛を願う町人層の世界でした。

文献に残る最古の記録

文献に残る最古の記録として、以下の2つを紹介します。

  • 浮世絵や草双紙の記録
  • 江戸後期にはすでに存在していた

浮世絵や草双紙の記録

江戸後期の浮世絵や草双紙(当時の娯楽本)には、
猫が擬人化された姿や、縁起を担ぐ猫の表現が登場します。

これらの資料から、
19世紀初頭にはすでに「猫=福を呼ぶ存在」という認識が共有されていたことがわかります。

江戸後期にはすでに存在していた

はっきりと「これが最古」と断定できる一体はありませんが、
江戸後期には招き猫と呼べる造形が存在していたことは、複数の資料から裏付けられています。

つまり招き猫は、
近代になってから作られた観光土産ではなく、
江戸の都市文化の中で自然に成立した縁起物なのです。

なぜ「猫」だったのか

招き猫の歴史を考えるうえで欠かせないのが、
「なぜ他の動物ではなく猫だったのか」という問いです。

養蚕文化との関係

日本では古くから養蚕が重要な産業でした。

蚕を守るためには、蚕を食べるネズミを防ぐ必要があります。
そのため猫は、農村や商家にとって欠かせない存在でした。

猫は「守る動物」であり、
守る=福を保つ存在として意味が重ねられていきます。

ネズミ除けとしての実用性

商家の蔵や米俵を守るうえでも、猫は重要でした。

ネズミによる被害は、直接的な損失に繋がります。
つまり猫は、利益を守る実用的な存在だったのです。

実用性があったからこそ、象徴になり得た。
ここに、他の動物とは違う説得力があります。

招く仕草の由来(日本的なジェスチャー)

招き猫の最大の特徴は、前足を挙げた姿です。

これは、猫が顔を洗う仕草が
「人を呼ぶ動き」に見えたことから広まったといわれています。

日本では手のひらを下にして手前に動かす動作が
「こちらへ来て」というジェスチャーです。

その動きと、猫の前足の動きが重なった。

つまり招き猫は、
人間の文化的な動作解釈と、猫の自然な仕草が結びついて生まれた存在なのです。

もちろん招き猫の起源は、
ひとつの出来事から始まったのではありません。

猫という動物の実用性、
江戸の町人文化、
縁起を担ぐ感覚、
そして人々の物語。

それらがゆっくりと重なり、
「福を招く猫」という形になっていきました。

招き猫の歴史は、
誰かが作ったキャラクターの歴史ではなく、
人々の暮らしの中から自然に生まれた文化の記録なのです。

江戸後期〜明治|庶民文化として広がる

江戸後期になると、招き猫は単なる伝承や物語の中の存在ではなく、実際に「買える縁起物」として広がっていきます。

都市として成熟した江戸では、縁日や寺社参詣、芝居見物などの娯楽文化が発達しました。そのなかで、人々は小さな土産や縁起物を日常的に手にするようになります。

招き猫は、そうした庶民文化の流れの中で、徐々に「飾る福」として定着していきました。

今戸焼と浅草文化

今戸焼と浅草文化について、以下の視線で解説します。

  • 土人形としての量産
  • 江戸の縁日・土産文化

土人形としての量産

江戸・浅草周辺で作られていた今戸焼は、素朴な土人形を多く生み出しました。

豪華な陶磁器とは異なり、
比較的安価で、庶民でも手に取りやすい存在。

この「手が届く価格」であったことが、招き猫が広がる大きな要因でした。

高級な置物ではなく、
暮らしの延長線上にある小さな縁起物。

今戸焼の招き猫は、まさにそのポジションにありました。

江戸の縁日・土産文化

浅草寺周辺では縁日が開かれ、多くの露店が立ち並びました。

参詣の帰りに小さな縁起物を買う。
それを家に持ち帰り、飾る。

こうした文化の中で、招き猫は徐々に定番化していきます。

縁起物は、特別なものではなく、
日常の中に少し福を足す存在。

この感覚が、招き猫を一過性の流行ではなく、継続する文化へと押し上げました。

商売繁盛の象徴へ

商売繁盛の象徴になるまでの流れを以下の通り説明します。

  • 店先に置かれるようになる
  • 右手・左手の意味の発生

店先に置かれるようになる

江戸後期から明治にかけて、町人経済はさらに活発になります。

商家は競争の中で生き残る必要がありました。
そのなかで、縁起を担ぐ文化はより強まります。

招き猫は、家の中だけでなく、
店先に置かれる存在へと変化していきました。

「お客を招く猫」

この解釈が広がることで、
招き猫は商売繁盛の象徴として明確な役割を持つようになります。

右手・左手の意味の発生

現在よく知られている

・右手は金運
・左手は人(客)を招く

という解釈も、この時期以降に整理されていったと考えられています。

もともと猫の前足を挙げた姿があり、
そこに意味が後から重ねられていく。

縁起物の特徴は、
固定された意味ではなく、時代ごとに解釈が追加されていく点にあります。

招き猫もまた、
時代とともに意味が層のように重なっていった存在でした。

明治期の流通と全国拡大

明治期の流通と全国拡大はどのように広がっていったのでしょうか。

以下の視点で解説していきます。

  • 鉄道網の発達
  • 土産物として全国へ

鉄道網の発達

明治時代に入り、鉄道網が整備されると、人の移動が格段に増えます。

江戸(東京)に集まった文化や物は、
鉄道を通じて各地へ運ばれるようになりました。

それまで地域的な縁起物だった招き猫も、
徐々に全国へと広がっていきます。

土産物として全国へ

寺社参詣や観光の広がりとともに、
招き猫は「その土地らしい縁起物」として扱われるようになります。

やがて各地の焼き物産地でも、
独自の招き猫が作られるようになりました。

常滑、瀬戸、九谷など、
産地ごとの技法や色彩をまとった招き猫が登場します。

ここで重要なのは、
招き猫が「ひとつの固定された形」ではなく、
土地ごとに変化しながら受け入れられていったことです。

江戸で生まれた文化は、
明治の流通網によって全国へ広がり、
それぞれの地域の中で再解釈されていきました。

招き猫は、
庶民の手から商人の店先へ、
そして地域文化へと広がっていったのです。

こうして、招き猫は単なる土人形を超え、
日本各地に根づく縁起物へと成長していきました。

近代〜昭和|産地ごとの発展と多様化

明治期に全国へ広がった招き猫は、
その後、各地の焼き物産地の中で独自の進化を遂げていきます。

ここからの歴史は、「発祥はどこか」という議論よりも、
どの土地が、どのように招き猫を育ててきたかという視点が重要になります。

近代以降、招き猫は量産技術・流通・観光文化と結びつきながら、
より多様な姿を持つ存在へと変化していきました。

常滑焼(愛知県)と巨大招き猫文化

常滑焼の招き猫についてはどのような歴史があったのでしょうか。

以下ポイントで解説していきます。

  • 明治期以降の常滑土人形
  • 観光地化と“とこにゃん”

明治期以降の常滑土人形

愛知県常滑市は、日本六古窯のひとつに数えられる歴史ある陶業地です。

常滑では明治以降、土管や急須などの実用品と並行して、土人形の製造も盛んに行われました。
その流れの中で、招き猫も数多く作られるようになります。

常滑の特徴は、赤土を活かした素朴な質感と、量産に適した成形技術でした。

生活の延長にある焼き物の町で、
招き猫は自然と定番の縁起物として定着していきます。

観光地化と“とこにゃん”

戦後、常滑は観光地としても知られるようになり、
招き猫は町のシンボル的存在へと発展します。

巨大な招き猫モニュメントや、
街中に点在する猫のオブジェは、
「招き猫の町」というイメージを強く印象づけました。

ここで起きた変化は重要です。

招き猫は
家の中の小さな縁起物から、
町全体を象徴する存在へと拡張されたのです。

瀬戸焼と分業体制の中の招き猫

瀬戸焼も常滑と同様、愛知県に位置し、招き猫の文化が深い地域です。

以下の視点で見ていきましょう。

  • 瀬戸の量産技術
  • 白磁と彩色文化

瀬戸の量産技術

同じ愛知県に位置する瀬戸もまた、日本を代表する陶磁器産地です。

瀬戸の強みは、早くから確立された分業体制と量産技術にありました。

成形、素焼き、施釉、上絵付け。
工程ごとに専門の職人が関わることで、
安定した品質と大量生産を両立させていきます。

招き猫もこの体制の中で生産され、
全国へ安定的に供給される存在になりました。

白磁と彩色文化

瀬戸の招き猫は、白磁を基調としたものが多く、
その上に鮮やかな彩色を施すスタイルが定着します。

白い猫に赤い首輪、金色の小判。

このイメージは、
現在多くの人が思い浮かべる「招き猫像」に直結しています。

瀬戸は、
招き猫の“標準的なビジュアル”を広めた産地のひとつと言えるでしょう。

九谷焼など装飾性の高い招き猫の登場

装飾性の高い招き猫はどのように誕生したのでしょうか。

歴史と共に以下の視点で解説します。

  • 色絵磁器との融合
  • 縁起物から工芸品へ

色絵磁器との融合

石川県の九谷焼では、
もともと華やかな色絵磁器の文化が発展していました。

その技法が招き猫にも応用されることで、
装飾性の高い作品が生まれます。

緻密な絵付け、金彩、鮮やかな色彩。

ここでは招き猫は、
「置き物」というよりも「工芸作品」に近づいていきます。

縁起物から工芸品へ

昭和期に入ると、
招き猫は単なる縁起物ではなく、
コレクション対象や贈答品としても扱われるようになります。

高度経済成長期には、
商売繁盛の象徴として店舗に置かれ続ける一方で、
観光地では土産物としても定着しました。

そして次第に、

・陶器
・磁器
・ガラス
・石
・金属

など、素材の幅も広がっていきます。

招き猫は「ひとつの正解」に固定されることなく、
時代とともに表現を増やしていったのです。

近代から昭和にかけての招き猫の歴史は、
発祥の議論よりも、
各地でどう育てられ、どう変化してきたかにあります。

江戸で庶民文化として広がった猫は、
近代の産業化の中で量産され、
昭和には地域の象徴や工芸品へと姿を変えていきました。

この柔軟さこそが、
招き猫が今も生き続けている理由なのかもしれません。

現代|海外進出とアートとしての再解釈

昭和期までに「縁起物」「商売繁盛の象徴」として定着した招き猫は、
平成以降、もう一段階の変化を迎えます。

それは、
日本国内の民間信仰の象徴から、グローバルな“日本文化アイコン”へという変化です。

現代における招き猫の歴史は、
伝統の継承と同時に、再解釈と拡張の歴史でもあります。

海外で広がる「Lucky Cat」

中国・台湾・東南アジアへの普及

招き猫は、日本国内にとどまらず、
中国・台湾・香港・シンガポールなどの華人文化圏へ広がっていきました。

特に台湾や香港では、
商売繁盛の象徴として店頭に置かれる光景が一般的になっています。

このとき、招き猫は
「日本の民間信仰」という文脈よりも、
商業的な幸運のシンボルとして受け入れられました。

文化的背景は異なっていても、
“福を招く猫”というシンプルな構図は、
国境を越えて理解されやすいのです。

「右手=お金」「左手=人」の意味の再解釈

海外では、
右手・左手の意味がより明確に整理され、
金運用・集客用など用途別に区別される傾向も見られます。

また、
色ごとに意味を持たせるバリエーションも増えました。

・白=開運
・黒=厄除け
・金=金運
・赤=健康
・ピンク=恋愛

こうした意味づけは、
近代以降に整理され、広がった解釈のひとつです。

歴史的に固定された定義というより、
時代とともに追加されてきた“読み替え”と考えるほうが自然でしょう。

デザイン・キャラクター化する招き猫

ポップカルチャーとの融合

平成以降、招き猫はアニメやキャラクター文化とも結びつきます。

丸みを帯びたフォルム、
デフォルメされた表情、
カラフルなデザイン。

従来の「縁起物」の枠を越え、
ポップカルチャーの一部として再解釈されていきました。

ここでは、
信仰的意味よりも、
“かわいい存在”としての側面が前面に出てきます。

アート・コレクション対象としての招き猫

作家作品としての招き猫

近年では、
陶芸作家や現代アーティストが
独自の解釈で招き猫を制作する例も増えています。

素材を変える。
形を崩す。
意味を問い直す。

そうした試みの中で、
招き猫は単なる縁起物ではなく、
文化記号(シンボル)として扱われる存在になっています。

「縁起物」から「文化アイコン」へ

いまや招き猫は、

・商売繁盛の象徴
・観光地のモチーフ
・海外向け日本文化アイコン
・アート作品
・コレクターズアイテム

といった多層的な意味を持っています。

それでもなお、
右手や左手を挙げる姿は変わりません。

形は保たれながら、
意味だけが拡張していく。

これが、現代における招き猫の歴史的特徴です。

現代の招き猫は、
もはや「どこで生まれたか」という問いだけでは語れません。

むしろ重要なのは、なぜ、これほどまでに再解釈され続けているのか。

その柔軟さこそが、
江戸時代から続くこの小さな置き物が、
今も世界で生き続けている理由なのです。

よくある疑問|発祥地・手の意味・性別

招き猫の歴史を調べると、
必ず出てくる疑問があります。

  • 発祥地はどこなのか
  • 右手と左手はどちらが正しいのか
  • 招き猫に性別はあるのか

これらは現在もよく検索されるテーマです。
しかし実際には、どれも「明確な一つの答え」が存在するわけではありません。

ここでは、歴史的背景を踏まえながら整理していきます。

発祥地はどこなのか?

■ 豪徳寺説

東京・世田谷の豪徳寺には、
猫が井伊直孝を招いたという伝承が残っています。

この物語をもとに、
「招き猫発祥の地の一つ」と紹介されることがあります。

ただし、豪徳寺側も
“発祥を断定する”という立場ではなく、
江戸時代から語り継がれてきた由来の一つとして説明しています。

■ 今戸焼説

もう一つ有力とされるのが、
浅草・今戸で作られた「今戸焼」の土人形です。

江戸後期には、
今戸焼の猫人形が縁日や土産物として流通していた記録があり、
量産品として広まったのはこちらが早い可能性も指摘されています。

■ 「複数起源」説

現在の研究や資料を見る限り、
招き猫は単一の発明ではなく、複数の民間信仰や伝承が重なって成立したと考える方が自然です。

  • 寺院伝承としての猫
  • 土人形としての猫
  • 商売繁盛の象徴としての猫

これらが江戸後期に融合し、
現在の“招き猫像”が形成された可能性が高いといえます。

つまり、「発祥地はどこか?」という問いに対しては、

一つに限定するのは難しい

というのが、歴史的に最も誠実な答えです。

右手と左手の違いはいつ生まれた?

現在よく言われるのが、

  • 右手:金運・商売繁盛
  • 左手:人を招く(客を招く)

という意味づけです。

しかし、江戸期の文献に
この明確な区別があった記録は確認されていません。

右手・左手の意味づけは、
明治以降の商業文化の中で整理・後付けされた可能性が高いと考えられています。

商売の世界では、
「意味」を持たせたほうが売りやすい。

その流れの中で、

  • 両手を挙げる招き猫
  • 手の高さで意味が違う招き猫
  • 色ごとに願いが違う招き猫

といったバリエーションが増えていきました。

つまり現在流通している意味づけは、
歴史的起源というよりも、
流通と販売の中で洗練されてきた文化といえます。

招き猫に性別はあるのか?

「右手はオス、左手はメス」
という説を耳にしたことがあるかもしれません。

しかしこれも、
歴史的に明確な根拠があるわけではありません。

もともと招き猫は、

  • 性別を明確に設定された造形ではなく
  • 擬人化された“象徴的存在”

として広まりました。

近年では、

  • 右手=男性的象徴
  • 左手=女性的象徴

といった説明も見られますが、
これらは比較的新しい解釈と考えられています。

現代ではむしろ、

  • 性別を持たない存在
  • ジェンダーレスな縁起物
  • 単なる猫の象徴

として捉えられることも増えています。

まとめ|招き猫の歴史は「一つの物語」ではない

ここまで見てきた通り、
招き猫の歴史は、はっきりと一本の線で説明できるものではありません。

  • 江戸時代に語られた寺院の伝承
  • 今戸焼などの土人形としての広まり
  • 商売繁盛の象徴としての発展
  • 明治以降の流通網による全国拡大
  • 戦後の観光文化と量産体制
  • 現代のアートや海外展開

それぞれの時代で、
招き猫は少しずつ役割と意味を変えながら、
今日の姿へと積み重なってきました。

招き猫は「発明」ではなく「積層」

招き猫は、誰か一人が発明したキャラクターではありません。

  • 猫という身近な動物への信仰
  • 養蚕やネズミ除けといった生活の知恵
  • 江戸の商人文化
  • 土人形の量産技術
  • 明治の流通革命

こうした複数の要素が重なり合い、
結果として「福を招く猫」という像が定着しました。

そのため、発祥地や手の意味を一つに断定することは難しく、
むしろ「複数の起点を持つ民間文化」として捉えるほうが、歴史的には自然です。

変わらないのは「招く」という仕草

時代ごとに、

  • 手の意味が整理され
  • 色のバリエーションが増え
  • 両手を挙げる形が生まれ
  • 素材や表現方法が多様化しました。

それでも変わらないのは、
手を挙げて“何かを招く”という姿です。

日本では、手のひらを内側に向けて振る仕草が「招く」動作になります。
その文化的ジェスチャーが、そのまま造形になった点も、
招き猫の歴史の中で重要なポイントです。

招き猫の歴史を知る意味

招き猫は、単なる縁起物ではありません。

  • 庶民文化の象徴
  • 商業文化の発展の記録
  • 産地の技術史
  • 日本の信仰と生活感覚の縮図

そうした背景を知ることで、
店先や玄関に置かれた一体の見え方が、少し変わります。

それは「かわいい置物」ではなく、
江戸から続く文化の積層の一部です。

招き猫は、いまも歴史の途中にある

そして重要なのは、
招き猫の歴史は「完結していない」ということです。

  • アートとして再解釈される招き猫
  • 海外市場で広がるラッキーキャット
  • 新素材やデジタル技術による表現

いまもなお、
新しい意味が付与され続けています。

招き猫は、過去の遺物ではありません。
時代ごとに姿を変えながら、
これからも手を挙げ続けていく存在です。

その長い流れを知ることは、
一体の招き猫と向き合うときの、
静かな視点を与えてくれるはずです。

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