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招き猫の歴史・文化

招き猫発祥の地はどこ?豪徳寺・今戸・自性院など4か所を紹介

この記事でわかること

  • 発祥の地とされるのは豪徳寺・今戸神社・自性院・檀王法林寺
  • 寺の縁起、区の紹介、土人形の記録など、根拠の種類が違う
  • どこが最初かを決める記録はなく、定説はない
  • 招福殿や猫地蔵など、いまも訪ねて見られるものがある

招き猫発祥の地として名前が出るのは、東京の豪徳寺・今戸神社・自性院と、京都の檀王法林寺です。ただし、どの場所も発祥を裏づける根拠の種類が異なり、定説はありません。

招き猫が生まれた場所を訪ねてみたいと思っても、どこへ行けばよいのか迷う人は多いでしょう。誰がどんな根拠で「発祥」を語っているのかを知っておくと、それぞれの場所の見どころがはっきりします。

寺社と自治体の公式サイト、辞典、博物館の資料をもとに、研究所が場所ごとに整理しました。受付時間などは、2026年10月に各寺社の公式サイトで確認した内容です。

招き猫発祥の地とされる4か所

招き猫発祥の地は、寺の縁起で語られる場所と、土人形の産地として語られる場所に分かれます。まず4か所を一覧で比べ、なぜ一つに決まらないのかを押さえておきましょう。

発祥の地を比べるときの要点

  • 豪徳寺・自性院・檀王法林寺は、寺に伝わる縁起や伝えが根拠
  • 今戸神社は、今戸焼の産地として区が紹介している
  • 4か所とも、招き猫ゆかりの品をいまも見られる

4か所の比較表

4か所を並べると、発祥を語っている主体と根拠がそれぞれ違うことがわかります。

招き猫発祥の地とされる場所の比較(2026年10月時点)

場所所在地発祥を語る主な資料根拠の種類いま見られるもの
豪徳寺東京都世田谷区寺の公式サイト、区のデジタルミュージアム、辞典寺の縁起招福殿、奉納された招福猫児
今戸神社東京都台東区区の公式観光サイト今戸焼の産地二匹の猫の絵馬、御朱印帳
自性院東京都新宿区寺の公式サイト、区の文化観光資源案内寺の説話猫地蔵(節分会に御開帳)、参道の招き猫像
檀王法林寺京都府京都市左京区寺の公式サイト、博物館の展覧会解説寺の伝え黒い招福猫、主夜神大祭

表のうち、寺が自ら招き猫とのかかわりを伝えているのは、豪徳寺・自性院・檀王法林寺の3か所です。一方で今戸神社は、区の観光サイトが今戸焼の歴史をもとに発祥の地として紹介しています。

そのため4か所は、「猫が人を招いた話の舞台」と「招き猫が作られた土地」という二つの見方で分けると理解しやすいでしょう。

伝承の時代から産地での量産まで、招き猫がたどった道のりは歴史の記事で年表にしています。

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発祥の地が一つに決まらない理由

発祥の地が一つに決まらないのは、手を挙げた猫の人形がいつ、どこで初めて作られたのかを示す記録がないためです。京都文化博物館も展覧会の解説で複数の説を並べ、招き猫の起源ははっきりしないと述べました。

民俗学者の飯倉義之氏も、研究所の取材に「後からおそらく、そのお寺と井伊家の縁とか、今戸焼の縁とかで、伝説が作られていったんだろうと考えますね。」と語っています。招き猫という物が先にあり、その由来を説明する話が土地ごとに生まれたという見方です。発祥の話が複数あるのは、この順番を考えると自然なことといえます。

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民俗学者の島村恭則氏も研究所の取材で、今戸と豪徳寺のどちらが先かは確定できないと話しました。島村氏は、土地ごとに語られる発祥の話を、それぞれの伝承として受け止める姿勢を勧めています。

この点は、だるまと比べるとよくわかります。少林山達磨寺(群馬県高崎市)は縁起だるま発祥の寺を名乗り、地元の高崎も、全国に名の知られたその産地となりました。

一方で招き猫は、発祥とされる寺社が東京と京都にあり、主な産地は愛知の瀬戸と常滑です。つまり発祥の地と作られる場所が離れているため、「どこが発祥か」より「何の発祥か」を区別して読む必要があるのです。

島村氏が語る招き猫の地域差と、「招き猫」という呼び名が記録に登場するまでの流れは、次の記事で読めます。

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4か所の伝承が伝える年代と、記録で確かめられる年代を一つの表に並べた資料が、招き猫研究所 資料室の「招き猫年表」です。

世田谷の豪徳寺

豪徳寺は、寺の縁起と辞典の両方から招き猫とのかかわりをたどれる寺です。発祥の地として最も広く知られ、境内には奉納された招き猫が数多く並びます。

豪徳寺説を語る資料

豪徳寺説の中心にあるのは、門前の猫が井伊直孝を寺に招き入れ、雷雨から守った縁起です。寺の公式サイトでは、豪徳寺が直孝の後ろ盾を得て再興した年を寛永10年(1633年)としています。

世田谷区の世田谷デジタルミュージアムも、豪徳寺を招き猫ゆかりの地として紹介しています。区は、門の前で手招きする猫に導かれた直孝が、雷雨の害から逃れた話が伝わるとしました。

あわせて豊中市立図書館の調べでは、地名辞典の『日本歴史地名大系』にも招き猫の伝説が載っています。世界大百科事典は、この故事にちなむ招き猫のお札や、境内の猫塚にも触れました。

つまり豪徳寺説は、寺・区・辞典という複数の主体が語っている説です。ただし伝わっているのは猫が直孝を招いた話であり、置物がこの寺で初めて作られたことを示す記録ではありません。

彦根のまちで親しまれる「ひこにゃん」も、豪徳寺説から生まれたキャラクターだと京都文化博物館は紹介しています。招き猫と彦根のつながりは、次の記事で紹介しました。

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境内で見られる招福猫児

豪徳寺の境内では、招福殿と、願いが叶った人が納めた招福猫児(まねきねこ)を見られます。招福殿は、直孝に福をもたらした猫を招福猫児としてまつるお堂です。

世田谷デジタルミュージアムによると、いまは境内の招福観音堂に大小の招き猫がたくさん納められています。三重塔には十二支の彫刻が飾られ、子(ねずみ)の位置にも猫の姿があると寺は紹介しています。

拝観は6時〜17時、寺務所の受付は8時〜15時です(2026年10月時点)。招福猫児の置物や御守りは寺務所で授かれますが、品不足で大きさによっては欠けることもあると寺は案内しています。

そのため授かりたい大きさが決まっている場合は、出かける前に公式サイトのお知らせを確かめましょう。値段や授かり方、境内の猫の探し方は、豪徳寺の記事で詳しく紹介しています。

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浅草・今戸の今戸神社

今戸神社は、今戸焼の産地にある神社として、招き猫発祥の地の一つに数えられています。寺の縁起ではなく、やきものの産地としての歴史が根拠になっている点が、ほかの3か所との違いです。

今戸説を語る資料

今戸説を語っているのは、台東区や観光団体、愛好家の団体といった寺社の外の主体でした。区の公式観光サイトによれば、今戸神社のある一帯は16世紀から続く今戸焼が生まれた土地です。

猫をかたどった焼き物が売られていたことから、区はこの地を招き猫発祥の地にも数えています。愛知県と常滑市の観光サイトには、江戸の浅草で、老婆が夢に出た猫のお告げで土焼きの置物を作った話も載っていました。

あわせて朝日新聞の「sippo」によると、日本招猫倶楽部は今戸焼の「丸〆猫」を招き猫の源流と考えています。一方で神社自身のサイトを2026年10月に見たところ、招き猫に触れた記述はありませんでした。

つまり今戸説は、神社の縁起ではなく、区や団体が今戸焼の歴史から語る説です。訪ねるときは、神社そのものより周辺の土地の歴史に目を向けると理解が深まるでしょう。

丸〆猫と今戸神社の猫

今戸説を支える形ある資料が、今戸焼の「丸〆猫(まるしめねこ)」という土人形です。デジタル大辞泉プラスでは、日本各地の招き猫のうち最古の作例とされています。

江戸東京博物館のデジタルアーカイブスでは、今戸焼の職人・金沢春吉が手がけた丸〆猫も公開されています。年代は大正〜昭和初期とされ、今戸の土人形の型が近代まで作り継がれたことを伝える資料です。

一方で今戸神社では、縁を招き寄せるペアの猫を描いた絵馬や御朱印帳が人気です。社務の受付は9時〜16時で、2026年10月時点の御朱印は書き置きだけの扱いとなっています。

だからこそ今戸を訪ねるなら、神社の猫の授与品と、博物館が伝える丸〆猫の両方を知っておくと楽しみが広がるでしょう。土人形づくりの技と今戸焼の招き猫の歩みは、別の記事で掘り下げています。

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今戸の土人形のように、招き猫はいつの時代も、やきものの産地の職人に支えられてきました。発祥の地をめぐったあとは、いまの産地の窯から生まれる一体にも目を向けたくなるでしょう。

「Luxen Maneki」は、六古窯の一つである瀬戸焼の招き猫です。手がけるのは、招き猫研究所の運営元にあたる日本招き猫総合研究所(株式会社)です。伝統窯の職人が、手描きの金彩で一体ずつ仕上げるのが特徴でしょう。

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新宿の自性院

自性院は、道灌を救った黒猫の話にちなみ「猫寺」の名で親しまれる寺です。猫地蔵の御開帳は年に一度だけですが、参道ではふだんから招き猫の像が参拝者を迎えてくれます。

自性院説を語る資料

自性院説の根拠は、寺に伝わる太田道灌と黒猫の説話です。区の文化観光資源案内によると、猫地蔵は道灌を導いた黒猫を祀ったものとされます。話の舞台は、文明9年(1477年)に起きた江古田・沼袋の戦いです。

寺の公式サイトも、この話を招き猫の由来の一つにも挙げられる説話として紹介しています。太田道灌の顕彰サイトは、自性院の猫が招き猫の元祖の一つといわれると伝えました。

ただし、どの資料も伝えているのは猫地蔵の由来です。手を挙げた置物がこの寺で作られたことを示す記録は、確かめられませんでした。

つまり自性院説は、猫が人を招いて福をもたらすという考え方の古い例として読むのが確かでしょう。道灌と黒猫の話の筋や、資料ごとの語られ方の違いは、伝説の記事で比べています。

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猫地蔵と参道の招き猫像

自性院で見られるのは、二体の猫の地蔵と、参道口の石の招き猫です。秘仏の猫地蔵と猫面地蔵は、毎年2月3日の節分会のときだけ御開帳されます。

猫面地蔵は、江戸時代中期に猫をかわいがっていた商人の娘を弔うために刻まれたと寺は伝えています。猫地蔵で評判だった自性院に開眼法要が頼まれ、それ以来ともに祀られてきました。

参道口の招き猫像にも、寺の歩みが刻まれています。初代は画家で猫の愛好家だった河村目呂二氏が寄贈した像でしたが、太平洋戦争中の金属供出で失われたと寺は記しています。

その後、戦後の復興を託された住職が、再び供出に遭わないよう石で二代目を据えました。なお、ふだんの参詣では猫地蔵堂を外から拝むことになるため、猫地蔵に会うなら節分会の日を選びましょう。

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京都の檀王法林寺

檀王法林寺は、関西で招き猫発祥の説が語られる寺です。夜を守る神の使いとされる黒猫の招福猫を、江戸時代から授けてきたと寺は伝えています。

檀王法林寺説を語る資料

檀王法林寺説の根拠は、主夜神尊(しゅやじんそん)の銘を刻んだ黒い招福猫の伝えです。寺の公式サイトによると、主夜神の使いは古くから黒猫とされてきました。

寺には、江戸の中ごろから主夜神尊の銘を刻んだ招福猫が作られていたことが伝わります。右手を挙げた黒い像は、ほかが模作するのを禁じられるほど信仰を集めたといいます。寺は、寺社ゆかりの招き猫ではこの像がいちばん古いと位置づけました。

京都文化博物館の展覧会解説も、招き猫の起源の説の一つに檀王法林寺説を挙げました。ただし最古という見方は寺の伝えにもとづくもので、ほかの資料では年代を確かめられていません。

そのため檀王法林寺説は、寺の伝えと博物館の紹介という二つの主体から語られている説と捉えるとよいでしょう。

主夜神大祭と黒い招福猫

檀王法林寺で招き猫ゆかりのものに出会えるのは、毎年12月の第1土曜日の招福猫・主夜神大祭です。この日には、秘仏の主夜神像も御開帳となります。

参拝者には主夜神尊のお札とあわせて、厨子の中から見つかった江戸後期の古い招き猫の復刻像が授けられるそうです。ふだんは庫裏(寺務所)で、招き猫など主夜神にちなむ品を授けています。

ただし授与品の値段は改定されることがあり、品切れになる時期もあるため注意しましょう。訪ねる前に、寺の公式サイトで最新の案内を確かめてください。

京都の寺社の授与の時間や、ほかの地域の招き猫の寺社は、神社・寺の記事で地域別にまとめました。だからこそ、京都の旅程に組み込むなら12月の大祭を目安にするとよいでしょう。

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この4か所のほか、金猫銀猫の説や中国の故事、研究者の見方まで12の説を典拠つきで並べた資料が、招き猫研究所 資料室の「招き猫の起源 諸説一覧」です。

よくある質問

Q. 招き猫発祥の神社はどこですか?

A. 神社として名前が出るのは、東京都台東区の今戸神社です。台東区の観光サイトが、今戸焼の発祥の地で猫の焼き物が売られていたことから、招き猫発祥の地と紹介しています。豪徳寺・自性院・檀王法林寺も発祥の地とされますが、こちらは神社ではなく寺です。

Q. 豪徳寺と今戸神社では、どちらが本当の発祥の地ですか?

A. どちらが先かを決める記録はなく、定説はありません。豪徳寺は井伊直孝と猫の縁起、今戸は今戸焼の丸〆猫の産地という、それぞれ別の根拠で語られています。物語の舞台を訪ねたいなら豪徳寺、招き猫が作られた土地を知りたいなら今戸というように、関心に合わせて選ぶとよいでしょう。

Q. 伏見稲荷が招き猫の発祥というのは本当ですか?

A. 研究所が調べた範囲では、伏見稲荷を発祥とする記録は確かめられませんでした。

招き猫研究所がつくる招き猫「Luxen Maneki」

発祥の地をたどると、招き猫は寺の縁起と、土人形をつくる職人の手から生まれてきたことがわかります。物語を知ったうえで迎える一体なら、どこで誰が作ったのかまで確かめたいと思いませんか。

「Luxen Maneki」は、この研究所を運営する会社がお届けする瀬戸焼の招き猫です。量産の品と異なるのは、職人が金彩を手で描き入れ、ご注文から約4〜6週間をかけて仕上げることでしょう。

一体ずつ特製の桐箱に収めて届けています。湿気を吸い込んで吐き出し、燃えにくい桐は、昔から金庫の内箱にも用いられてきました。

まとめ

招き猫発祥の地とされるのは、豪徳寺・今戸神社・自性院・檀王法林寺の4か所です。豪徳寺と自性院、檀王法林寺は寺の縁起や伝えが、今戸は今戸焼の産地としての歴史が根拠になっています。

どこが最初かを決める記録はなく、それぞれが別の意味での「発祥」を語っていると捉えるのが確かでしょう。

物語の舞台を訪ねるなら豪徳寺や自性院、作られた土地を知るなら今戸がよい手がかりになります。訪ねる前に、御開帳や大祭の日、授与の時間を各公式サイトで確認しておくと安心です。