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招き猫の歴史・文化

招き猫の由来とは?江戸の暮らしから生まれた、縁起物の背景

「招き猫って、どこから来たんだろう」。
店先や玄関で見かけるあの姿に、ふとそんな疑問を抱いた経験はありませんか?

招き猫の由来は、江戸時代の暮らしにさかのぼります。
江戸の町で育まれた縁起物の背景を、紐解いていきましょう。

より詳しく知りたい方は『招き猫とは?意味・由来・種類から読み解く、日本が育んだ縁起物』もご覧ください…!

https://good-luck-cat.com/manekineko/

目次

招き猫の由来とは

江戸の暮らしから生まれた縁起物

招き猫の由来は、江戸時代の暮らしにさかのぼるといわれています。
当時の江戸は、商いが盛んな町でした。

店を構える人々が、店先や玄関に猫の姿をした置物を据えて、福やお客を招く、という考え方が育まれていきました。
江戸の暮らしから生まれた縁起物、それが招き猫の由来の背景にあります。

土人形や張り子として作られた招き猫は、町人の暮らしに浸透していきました。
今戸焼や江戸近郊の窯で作られた招き猫が、江戸の町で親しまれるようになったのです。

縁起物の背景、福を招くという考え方

招き猫は「福を招く」縁起物として受け継がれてきました。
その背景には、江戸の暮らしと商いの文化があります。

商いの場ではお客を招く、家庭では福を招く、という願いが込められてきました。
店先に据えられた招き猫は、商売繁盛や家内安全を願う縁起物として、庶民の暮らしに根づいていったのです。

縁起物の背景には、人々が福や幸せを願う気持ちがあります。
招き猫の由来を語るとき、この「福を招く」という考え方は欠かせないものです。

起源は定かではないが、伝説が残されている

招き猫の発祥地や創始者は、文献が少なく定かではありません。
そのかわり、豪徳寺(東京都世田谷区)や今戸(東京都台東区)など、複数の伝説が伝わっています。

どの説も「猫が人を招いた」というモチーフで共通しているのが特徴です。
招き猫の由来を語るとき、これらの伝説は欠かせないものとなっています。

招き猫の由来にまつわる伝説

招き猫の色とご利益一覧図(8色の意味と由来) 色ごとのご利益・風水・由来を整理。願いに合わせて色を選ぶ際の参考に。

豪徳寺の伝説、飼い猫が殿様を招いた

招き猫の由来としてよく知られているのが、豪徳寺にまつわる伝説です。
江戸時代、彦根藩主の井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかりました。

そのとき、寺の飼い猫が手を上げて招くような仕草をしたといわれています。
直孝が猫に導かれて寺に入ると、たちまち雷雨が降り始めたため、難を逃れることができました。

その縁で直孝は豪徳寺を厚く庇護し、寺は繁栄したとされています。
猫の死後、住職が猫の姿をかたどった置物を作り、縁起物として広まった、というのが豪徳寺の説です。

豪徳寺は「招き猫発祥の地」として知られ、多くの招き猫が奉納されています。
境内には招き猫を奉納するスペースがあり、参拝者が願いを込めて招き猫を並べる光景が見られます。

今戸焼と老婆の伝説、江戸の町で生まれた

もうひとつの代表的な説が、今戸にまつわる伝説です。
江戸・今戸(現在の東京都台東区)で、貧しい老婆が飼い猫と暮らしていました。

老婆は生活に困り、やむなく猫を手放すことになりました。
その夜、老婆の夢に猫が現れ、「自分の姿をかたどった人形を作れば、福が訪れる」とお告げをしたといわれています。

老婆は夢のお告げに従い、猫の形をした土人形を焼いて売り始めました。
その人形が縁起物として評判になり、今戸焼の招き猫として広まった、というのが今戸の説です。

今戸焼は江戸時代から続く焼き物の産地で、招き猫のルーツのひとつとされています。
土の温かみを残した今戸焼の招き猫は、江戸の町人の暮らしに根づいていきました。

その他の説、伏見稲荷や金刀比羅宮

豪徳寺と今戸以外にも、招き猫の由来にまつわる説があります。
伏見稲荷(京都府京都市)の「白狐」と猫を結びつける説、金刀比羅宮(香川県琴平町)にまつわる説などです。

いずれも「招く」という動作と縁起の良さが結びついた物語として伝わっています。
どれが正しいかは定かではありませんが、複数の説が並存することは、招き猫が日本各地で愛されてきた証ともいえるでしょう。

江戸の暮らしと招き猫

店先に福を招く、商いの文化

江戸時代、店先に招き猫を据えて福やお客を招く、という文化が育まれました。
商いの場ではお客を招く、家庭では福を招く、という願いが込められてきたのです。

江戸は商いが盛んな町でした。
店を構える人々が、招き猫に願いを込めて据えたことが、招き猫の由来を形づくっていったといえます。

江戸の暮らしと商いの文化が、招き猫の由来を支えてきました。
店先に据えられた招き猫は、江戸の町人の暮らしに欠かせない縁起物となっていったのです。

浮世絵や文献に残る招き猫

江戸時代後期の浮世絵には、店先に招き猫を置く様子が描かれているものがあります。
歌川国芳や歌川広重らの作品に、招き猫らしき姿が登場するといわれています。

文献では、1852年(嘉永5年)の『安政見聞誌』に「招き猫」の記述があるとされています。
江戸の町で招き猫がすでに知られていたことを示す資料のひとつです。

当時の招き猫は、土人形や張り子として作られていました。
今戸焼や江戸近郊の窯で作られた招き猫が、町人の暮らしに浸透していったと考えられています。

縁起物として受け継がれてきた背景

猫が人を招く、共通するモチーフ

どの伝説も「猫が人を招いた」というモチーフで共通しています。
招き猫の由来を語るとき、このモチーフが欠かせません。

福を招く、人を招く、という願いが込められてきました。
招き猫の由来の背景には、この共通するモチーフが受け継がれているのです。

常滑・瀬戸へ、そして全国へ

明治時代に入ると、愛知県の常滑や瀬戸で招き猫の製造が本格化し、全国へ広がっていきました。
江戸の暮らしから生まれた縁起物が、窯業の町で受け継がれ、広がっていったのです。

鉄道の発達とともに、招き猫は日本中で親しまれる縁起物となりました。
由来の背景には、江戸から現代まで続く受け継がれ方があります。

窯元と産地、由来の先にある招き猫の文化

由来を知ると、据え方が深まる

招き猫の由来を知ると、据え方の世界が広がる、といわれています。
江戸の暮らしから生まれた縁起物の背景を感じると、招き猫の据え方が深まるのです。

窯元の職人さんが手で据える招き猫には、その文化が受け継がれています。
常滑・瀬戸・九谷などの産地で、窯元や職人が招き猫を作り続けているのです。

由来の先にある招き猫の文化は、産地と職人が紡いできた物語でもあります。
江戸の町から始まった招き猫が、今も窯元と職人の手によって受け継がれている、という事実は、招き猫の由来を語るうえで欠かせません。

日本初の招き猫専門メディア『招き猫研究所』

招き猫研究所では、招き猫を『縁起物の雑学』ではなく、日本が育んできた文化として伝えていきたいと考えています。

色の意味や置き場所のハウツーだけでなく、窯元や産地、職人さんの想いが込められた招き猫の世界を、もっと多くの方に届けたい。

そんな思いで、記事を書いています。

「招き猫って、もっと深いんだ」と感じていただけたら、『招き猫の歴史・文化』の記事もご覧になってみてください。

まとめ

招き猫の由来は、江戸の暮らしから生まれた縁起物の背景にあります。
豪徳寺や今戸の伝説、江戸の商いの文化が、招き猫を育んできました。

由来を知ると、招き猫の据え方の世界が広がります。
店先や玄関に据えられた招き猫には、江戸の暮らしから受け継がれてきた願いが込められているのです。