この記事でわかること
- 土偶と招き猫の直接のつながりを示す資料はない
- 土偶は縄文時代、招き猫は江戸時代末期の記録から
- 「土偶」は土人形を指す言葉としても使われてきた
- 共通点は、願いを土で形にしてきたこと
招き猫と土偶の直接のつながりを示す資料は、研究所が辞典や博物館の情報を確かめた範囲では見つかりませんでした。二つのあいだには、2000年以上の時代の隔たりがあります。
それでも「土偶」という言葉は、辞典では土人形を指す意味も持っています。言葉の意味と時代の違いを押さえると、招き猫と土偶をどこまで結びつけてよいかが見えてくるでしょう。
辞典、博物館、自治体の公式情報をもとに、土偶と招き猫の違いと、確かめられる共通点を整理しました。つながりを示す確かな資料がないことは、そのとおりに書いています。
招き猫と土偶のつながり

招き猫と土偶は、同じ流れでつながっていると示す資料が見つからない別々の造形です。まず確かめた範囲と、二つの時代の隔たりを押さえておきましょう。
招き猫と土偶のつながりの要点
- 辞典の「招き猫」「土偶」の項目は、互いに触れていない
- 土偶は縄文時代、招き猫は江戸時代末期の記録から
- 縄文時代の終わりから招き猫の記録まで、2000年以上離れている
直接のつながりを示す資料は見つからない
土偶と招き猫を一本の流れで結ぶ資料は、辞典の項目にも博物館の解説にも見当たりません。辞典の「招き猫」は、前足を上げて客や財宝を招く縁起物の置物として説明されています。
一方で「土偶」の項目は、縄文時代に人間をかたどってつくられた土製品として説明されていました。どちらの項目も、もう一方を起源や祖先として挙げていません。
研究所が2026年10月に検索結果を確かめたところ、上位に並んだのは土偶の姿に招き猫を重ねた作家の作品でした。二つのつながりを、資料にもとづいて解説したページは見つかっていません。
そのため「土偶と招き猫は昔からつながっている」と言い切ることはできないでしょう。ただし、いまの作り手が土偶の造形に招き猫の願いを重ねて作品にすることは、創作として楽しめる表現です。
2000年以上離れた二つの時代
土偶と招き猫は、作られた時代が2000年以上離れています。縄文時代は約1万2000年前に始まり、約2400年前まで続いたとする説が有力だと辞典は説明しています。
土偶と招き猫の違い
| 項目 | 土偶 | 招き猫 |
|---|---|---|
| 作られた時代 | 縄文時代(約1万2000年前〜約2400年前) | 江戸時代末期の記録から現代まで |
| 素材 | 粘土を焼いた土製品 | 土人形から始まり、のちに磁器や陶器も |
| かたどるもの | 人の姿(女性が多い) | 前足を上げた猫 |
| 使われ方 | 信仰や呪術、祭祀と深く関わる。具体的な用途は解明されていない | 客や財宝を招く縁起物として、店先などに飾る |
招き猫が記録に現れるのは、嘉永5年(1852年)に江戸で今戸焼の丸〆猫が流行したころからです。京都文化博物館も、手を挙げた姿の猫の人形が生まれた時期は、資料からははっきりしないとしています。
あわせて同館は、猫が日本にいたのは少なくとも弥生時代中期からとみています。つまり招き猫の記録は、縄文時代が終わってから2000年以上のちのものです。
招き猫が江戸から現代までどう姿を変えてきたかは、歴史の記事で年表とともに紹介しています。
辞典が定める土偶
土偶は、縄文時代を特色づける、人の姿をかたどった土製品です。ただし辞典をひくと、「土偶」という言葉にはもう一つの意味があることもわかります。
縄文時代の土偶
縄文時代の土偶は、信仰や呪術、祭祀と深く関わる、人をかたどった土製品です。山川の日本史小辞典によると、土偶は縄文文化に特有の遺物で、使いみちはいまもわかっていません。
同じ辞典によると、最古の土偶は早期前半の関東地方に現れた、小さく抽象的なものでした。中期以降は脚のある写実的な土偶が発達し、作られる数も増えていきます。
よく知られる土偶の例
| 名前 | 時期 | 所蔵・展示 |
|---|---|---|
| 遮光器土偶(重要文化財) | 縄文時代晩期(前1000〜前400年) | 東京国立博物館(青森県つがる市木造亀ヶ岡出土) |
| 国宝「土偶」(縄文のビーナス) | 縄文時代 | 茅野市尖石縄文考古館(長野県) |
| 国宝「土偶」(仮面の女神) | 縄文時代 | 茅野市尖石縄文考古館(長野県) |
東京国立博物館によると、遮光器土偶の名は、極端に大きな目の表現が雪よけの眼鏡に似ていることから付きました。山川の辞典も、晩期の遮光器土偶を独特な造形で知られる型の一つに挙げています。
なお茅野市尖石縄文考古館の案内では、縄文のビーナスは実物を、仮面の女神は複製を展示中です(2026年10月時点)。見学するときは、館の公式サイトで展示の状況を確認してください。
「土偶」という言葉のもう一つの意味
「土偶」という言葉は、縄文の土製品だけでなく、土で作った人形全般を指す言葉でもあります。デジタル大辞泉は、一つ目の意味として「土をこねって作った人形。つちにんぎょう」を挙げています。
精選版日本国語大辞典の「土人形」の項目でも、土偶や泥人形が同じ意味の言葉として並んでいます。日本大百科全書は、土人形を「土偶、泥人形ともいう」と説明しました。
「土偶」の二つの意味
| 意味 | 指すもの | 招き猫との関係 |
|---|---|---|
| 広い意味(土人形) | 土をこねて作った人形全般 | 江戸の今戸焼の招き猫は、この土人形にあたる |
| 狭い意味(考古学の土偶) | 縄文時代の、人をかたどった土製品 | 直接のつながりを示す資料はない |
つまり言葉のうえでは、江戸の土製の招き猫も広い意味の「土偶」に含まれます。日本大百科全書は、土人形の歴史の古さを示す例として、先史時代の土偶や古代の埴輪を挙げていました。
だからこそ、招き猫と土偶の関係を語るときは、どちらの意味の「土偶」かを分けて話すのが確かです。縄文の土偶と招き猫を結ぶ資料はなくても、土人形としての招き猫なら記録でたどれます。
招き猫と同じ「土の人形」の流れ

招き猫が記録でたどれる土の造形の流れは、縄文の土偶ではなく、江戸時代の土人形です。土人形は江戸時代に全国へ広がり、その中で招き猫も作られるようになりました。
江戸の土人形として生まれた招き猫
記録でたどれる江戸の招き猫は、今戸焼などの土人形として作られていました。日本大百科全書によると、浅草の今戸では土で作る招き猫の生産が盛んになり、やがて今戸焼を代表する品の一つとなりました。
その土人形の源流とされるのが、京都の伏見人形です。ブリタニカ国際大百科事典は伏見人形を「土人形の元祖」とし、江戸時代には各地に製法や形が伝わったと記しています。
土人形と招き猫のつながり
| 時期 | できごと | 資料 |
|---|---|---|
| 江戸時代 | 伏見人形の製法や形が各地に伝わる | 辞典 |
| 江戸時代末期 | 土人形の産地が全国で100か所余りにのぼる | 辞典 |
| 嘉永5年(1852年) | 今戸焼の土人形「丸〆猫」が江戸で流行する | 博物館の展覧会解説、辞典 |
| 明治30年代 | 瀬戸で磁器の招き猫の量産が始まる | 愛知県の観光サイト、新聞記事 |
日本大百科全書の「郷土玩具」によると、土人形づくりが全盛を迎えた江戸末期には、産地が全国で100か所余りにのぼりました。招き猫が江戸の町で生まれたとされる時期とも重なります。
その後、明治30年代には愛知県の瀬戸で磁器の招き猫の量産が始まりました。当時の招き猫は生きた猫に近いスリムな体形だったと、朝日新聞のsippoは伝えています。
今戸焼の招き猫と、瀬戸焼の招き猫については、それぞれの産地の記事で詳しく紹介しています。
願いを土で形にしてきた共通点
土偶と招き猫に共通点を見いだすなら、目に見えない願いを、土で形にしてきたという点です。土偶は信仰や祭祀と深く関わり、女性像が多いことから、安産や豊かな実りを願って使われたと考えられています。
一方で江戸の土人形は、節供の飾りのほか、病難災難除けや商売繁盛などの縁起物として多く作られました。日本大百科全書は、その種類にだるまや福助なども挙げています。
招き猫もその一つで、客商売の家で客や財宝を招く縁起物として飾られてきました。ただし、土偶が何のために作られたかは、いまも解明されていません。
そのため二つを比べるときは、「祈りや願いを形にする造形」という一般的な共通点にとどめるのが確かでしょう。島村恭則氏(民俗学者)に研究所が話を聞いたところ、縁起物の根っこには人の不安があるといいます。
島村氏が民俗学の視点から縁起物を読み解いたインタビューと、招き猫の由来の記事も参考にしてください。
江戸の土人形として生まれた招き猫は、明治以降、瀬戸などのやきものの産地で作られるようになりました。土から生まれた縁起物が、いまの窯でどう作られているのかを知りたい人もいるでしょう。
瀬戸焼の招き猫「Luxen Maneki」を営むのは、この研究所の運営元でもある株式会社日本招き猫総合研究所です。伝統窯の職人が金彩を手描きし、注文を受けてから一体を仕上げます。
よくある質問
Q. 土偶は何のために作られたのですか?
A. 具体的な用途は、まだ解明されていません。山川の日本史小辞典は、縄文人の信仰や呪術、祭祀と深く関わる呪物としています。女性をかたどったものが多いことから、安産や豊かな実り、生命の再生を願う儀式に使われたと考える辞典もあります。
Q. 土偶と埴輪は何が違いますか?
A. 大きな違いは、作られた時代と置かれ方でしょう。土偶は縄文時代の、人をかたどった土製品です。埴輪は古墳時代に、古墳のまわりに並べられた素焼きの土製品のことです。どちらも土を焼いて作ったもので、広い意味では土人形の歴史に含まれると日本大百科全書は説明しています。
Q. 土偶の形をした招き猫はありますか?
A. いまの作家が、土偶の造形に招き猫の姿を重ねた作品を作っています。研究所が2026年10月に検索結果を確かめたところ、作家の作品や通販のページが上位に並んでいました。これらは現代の創作作品で、縄文の土偶と招き猫が昔から結びついていた証拠にはなりません。
招き猫研究所がつくる招き猫「Luxen Maneki」
招き猫は、江戸の土人形から始まり、やきものの産地の職人たちに受け継がれてきました。手元に置く一体も、どこで誰が作ったのかがわかるものを選びたいと感じる人は多いはずです。
「Luxen Maneki」の招き猫を作っているのは、六古窯の一つである瀬戸焼の窯です。量産品と異なり、職人が金彩を手描きする受注生産のため、仕上がりまでに約4〜6週間を見込んでいます。
できあがった一体は、特製の桐箱でお届けします。桐は湿気の変化をやわらげ、火にあぶられても燃え進みにくい木として、昔は金庫の内箱にも用いられました。
まとめ
招き猫と土偶の直接のつながりを示す資料は見つかりません。土偶は縄文時代の土製品で、招き猫の記録は江戸時代末期から始まり、2000年以上の隔たりがあります。
一方で「土偶」は土人形を指す言葉でもあり、江戸の今戸焼の招き猫はその土人形にあたります。共通点は、願いを土で形にしてきたことまでと考えるのが確かでしょう。
土偶を見たいときは、遮光器土偶などを所蔵する博物館を訪ねてみましょう。招き猫の土の人形としての姿は、今戸焼や伏見人形の流れをたどると土の造形の違いが見えてきます。




