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招き猫の歴史・文化

招き猫の歴史はいつから?江戸から現代までの歩みを解説

この記事でわかること

  • 記録でたどれる招き猫の歴史は、江戸時代末期から始まる
  • 明治に瀬戸が磁器で量産し、大正には輸出の置物も作られた
  • 戦後は常滑の二頭身が広まり、店先の定番になった
  • 平成には記念日や祭りが生まれ、海外にも広がった

招き猫の歴史は、江戸時代末期の土人形から記録をたどれます。その後は作り手と素材を変えながら、時代ごとに新しい姿が生まれてきました。

あの手招きする猫は、いつから店先に座るようになったのでしょうか。時代ごとの変化を知ると、いま手に取る一体がどの時代の流れを受け継いでいるのかが見えてきます。

博物館や自治体、辞典、研究所の取材記事など、出典をたどれる資料だけで年表を組み立てました。発祥の諸説や伝説の中身は個別の記事に譲り、この記事は江戸から現代までの通史に絞っています。

招き猫の歴史の年表

招き猫の歴史は、江戸の流行から、明治以降の産地の量産、平成の記念日へと続いてきました。年表で全体の流れをつかんでから、時代ごとの背景をたどりましょう。

招き猫の歴史の要点

  • 江戸時代末期:今戸焼の丸〆猫が流行し、浮世絵にも描かれた
  • 明治〜昭和:瀬戸が磁器で量産を始め、戦後は常滑の二頭身が全国へ
  • 平成以降:招き猫の日や祭りが生まれ、海外でも親しまれている

江戸から令和までの主な出来事

招き猫の主な出来事を年代順に並べると、江戸の流行、明治の量産、戦後の常滑系、平成の記念日という四つの山が見えます。

招き猫の歴史の年表

年代出来事資料
天保12〜13年(1841〜42年)歌川国芳の戯画を中心に、江戸で猫の浮世絵が流行する博物館の展覧会解説、美術メディア
嘉永5年(1852年)今戸焼の丸〆猫が評判を呼び、歌川広重の錦絵に描かれる博物館の展覧会解説・所蔵記録、報道
明治30年代瀬戸で磁器の招き猫の量産が始まる愛知県公式観光サイト
大正時代瀬戸で輸出向けの置物(ノベルティ)づくりが本格化する美術館の展覧会案内
1930年代後半常滑で招き猫づくりが始まる観光庁の解説文、常滑市観光協会
昭和20年代常滑で丸い頭と二頭身の招き猫が生まれる常滑市観光協会、報道
1993年(平成5年)愛好家の団体「日本招猫倶楽部」が設立される倶楽部の公式サイト、報道
1995年(平成7年)9月29日が招き猫の日に定められ、伊勢で祭りが始まる倶楽部の公式サイト、おかげ横丁、報道
1996年(平成8年)瀬戸で「来る福招き猫まつり in 瀬戸」が始まる愛知県公式観光サイト
2006年(平成18年)豪徳寺の招き猫をもとにした「ひこにゃん」が彦根市で誕生する報道(2紙)

表を見ると、招き猫はおよそ170年のあいだに、土人形から磁器、陶器へと素材を移してきたことがわかります。ただし大正時代の輸出の始まりは、美術館の展覧会案内による説明です。

あわせて、平成に入ってからの出来事は、愛好家や産地の人々が自ら招き猫を盛り立てたものでした。つまり招き猫の歴史は、作り手と愛好家の両方が書き継いできたものといえるでしょう。

この表は主な出来事に絞ったものです。寺社の伝承の時代から令和まで、31の出来事をすべて典拠つきで整理した完全版は、招き猫研究所 資料室の「招き猫年表」にまとめています。

記録でたどれるのは江戸時代末期から

招き猫の歴史を記録でたどれるのは、江戸時代末期の嘉永年間からです。

京都文化博物館は、手を挙げた猫の人形の出現時期を示す資料は見当たらないとしています。それより前の時代については、寺社の縁起や言い伝えが語られるだけで、置物そのものの記録は見つかっていません。

ほかの縁起物と比べても、記録の残り方はよく似ています。高崎だるまの組合によると、高崎の市でだるまを売る様子は文政12年(1829年)の『高崎談図抄』に描かれていました。

つまり、だるまも招き猫も江戸後期の町の記録から歴史がはっきりし始めるのです。それ以前の「始まり」を知りたいなら、伝承を伝承として読み分ける必要があります。

発祥の寺社に伝わる話や、名前と姿が記録に現れるまでの経緯は、由来と発祥の地の記事で整理しています。

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江戸時代の招き猫

江戸時代の招き猫は、土地の素材でつくる土人形や張り子でした。流行は町の評判から生まれ、店先や花街、農家へと置かれる場所を広げていきます。

丸〆猫の流行と浮世絵

江戸の招き猫の歴史で最初の山場は、嘉永5年(1852年)の丸〆猫(まるしめねこ)の流行です。丸〆猫は今戸焼の土人形で、京都文化博物館の解説によれば、この流行は4〜5年ほどで落ち着きました。

この年に歌川広重が描いた「浄瑠璃町繁花の図」は、江戸東京博物館の所蔵品として記録が公開されています。作品の年代は嘉永5年とされ、丸〆猫の流行と同じ年の江戸の町を伝えるものです。

その10年ほど前の天保年間には、歌川国芳の戯画を中心に猫の浮世絵が流行していました。大久保範子氏(浮世絵研究者)は、浮世絵を江戸のマスメディアと捉えています。

そのため江戸の人々は、置物より先に、刷り物を通して猫の姿に親しんでいたと考えられます。丸〆猫の流行は、こうした猫好きの下地の上に生まれたといえるでしょう。

丸〆猫を生んだ今戸焼の歩みと、大久保氏が語る浮世絵と縁起物の関係は、次の記事で読めます。

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店先と花街、農家に広がった招き猫

江戸の招き猫は、商いの場と農家の両方で求められた縁起物でした。世界大百科事典によると、招き猫は花街や飲食店で好まれ、正月に求めた招き猫を店先に置く習わしもありました。

その後、浅草の今戸では土製の招き猫が数多く作られました。日本大百科全書は、それが今戸焼の代表的な品の一つになったと説明しています。あわせて関東では、張り子の招き猫が達磨市で売られていました。

張り子の招き猫を買ったのは、おもに農家です。カイコを食い荒らすネズミを追い払う意味があったと、同じ辞典は説明しています。

つまり江戸の招き猫は、町では客を、村では蚕を守る役目を担っていたのです。同じ猫の置物でも、置かれる場所によって願いが違っていた点に、この時代の特徴があります。

江戸時代の猫の造形としては、寛永13年(1636年)完成の日光東照宮に彫られた眠り猫も知られています。

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明治・大正の招き猫

明治に入ると、招き猫の歴史はやきものの産地による量産の時代へ移ります。各地の手づくりの郷土玩具から、工場で数多く作られる磁器の置物へと変わっていきました。

瀬戸で始まった磁器の量産

明治の招き猫の歴史を動かしたのは、愛知県の瀬戸が始めた磁器の量産です。磁器でつくる招き猫の量産に日本で初めて乗り出したのが瀬戸で、時期は明治30年代でした。

朝日新聞の「sippo」によると、招き猫はもともと郷土玩具として各地で手づくりされていました。その需要が増えたことが、瀬戸での工業生産につながったといいます。当時の招き猫は、生きた猫に近いすらりとした姿でした。

明治の招き猫は、江戸の土人形とも戦後の二頭身とも違う、細身で写実的な姿が主流でした。古い招き猫を見分けるときは、体つきが時代の手がかりになります。

瀬戸の招き猫が磁器ならではの表現をどう育ててきたかは、瀬戸焼の記事で紹介しています。

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海を渡った瀬戸のノベルティ

大正時代の瀬戸では、海外へ輸出する置物「ノベルティ」の生産が本格化しました。兵庫陶芸美術館の展覧会案内によると、きっかけは大正3年(1914年)に始まった第一次世界大戦です。

それまでアメリカはノベルティの多くをドイツから輸入していましたが、戦争で輸入が途絶えます。そこで瀬戸が代わりの産地となり、石膏の型で作る輸出用の置物を手がけるようになりました。

朝日新聞の「sippo」には、大正時代に九谷焼の招き猫が輸出されたという記録もあります。

明治から100年以上、瀬戸は招き猫を作り続けてきました。その瀬戸の窯が、いまどんな一体を生み出しているのかも知りたくなるところです。

「Luxen Maneki」は、招き猫研究所と同じ運営会社の株式会社日本招き猫総合研究所が手がける、瀬戸焼の招き猫です。伝統窯の職人が、一体ごとに手描きで金彩を施しています。

昭和の招き猫

昭和の招き猫の歴史は、常滑で生まれた二頭身の姿が全国に広まった時代です。いま多くの人が思い浮かべる招き猫の形は、この時代にできあがりました。

常滑系の誕生

丸い頭と大きな目の招き猫は、昭和20年代に愛知県の常滑で生まれた姿です。観光庁の多言語解説文によると、常滑の招き猫づくりは1930年代後半に始まりました。

当時は常滑の伝統的なやきもの産業が衰えており、地元の職人が新しい仕事として置物を作り始めたといいます。常滑市観光協会も、常滑では戦前から招き猫が作られていたと紹介しています。

ただし、戦前の常滑の招き猫は、本物の猫に近いすらりとした体形でした。その姿を変えたのが、梅月冨本人形園の三代目と友人の原型師です。

昭和20年代、二人は丸い頭と大きな瞳、ずん胴の招き猫を形にしました。

京都文化博物館によれば、この姿が登場したのは昭和20〜30年代頃です。つまり見慣れた招き猫の形は、戦後に生まれたものなのです。

常滑の招き猫の特徴と、三代続く梅月冨本人形園の招き猫づくりは、次の記事にまとめました。

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高度経済成長と店先の招き猫

常滑系の招き猫は、高度経済成長とともに全国の店先へ広がりました。sippoの記事は、その愛らしい姿が人気を集め、各地で同じ形が作られるようになったと伝えています。

愛知県の公式観光サイトも、景気がよくなると飲食店を中心に、常滑焼の招き猫が店に飾られるようになったと紹介しています。信楽焼のたぬきと並んで、商売繁盛の品として選ばれたのです。

あわせて日本招猫倶楽部の板東寛司氏は、量産によって招き猫の役割も変わったとsippoの取材に話しています。江戸以来、自分や家族の幸運を願う身近な存在だったものが、店や公共の場で人を呼ぶ存在へ広がったという見方です。

いまでは全国の招き猫のおよそ8割が常滑系だといわれ、招き猫の代名詞になっています。だからこそ、二頭身の招き猫は戦後の商店の風景とともに定着した姿と捉えると、時代背景がつかみやすいでしょう。

瀬戸と常滑が二大産地として並ぶようになった流れは、愛知の招き猫の記事で整理しています。

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平成・令和の招き猫

平成に入ると、招き猫は愛好家と産地が一緒に盛り立てる文化になりました。記念日や祭りが生まれ、海外でも知られる縁起物になっています。

愛好家の倶楽部と記念日・祭り

平成の招き猫の歴史は、1993年に愛好家の団体「日本招猫倶楽部」が生まれたことから始まります。倶楽部は1995年に、「来る福(くるふく)」と読める9月29日を招き猫の日に定めました。

同じ年には、三重県伊勢市のおかげ横丁で「来る福招き猫まつり」が始まっています。翌1996年には、明治から招き猫を作ってきた瀬戸でも、官民による祭りが始まりました。

2006年には、豪徳寺の招き猫の伝説をもとにした彦根市のキャラクター「ひこにゃん」も誕生しています。

つまり平成以降の招き猫は、縁起物であると同時に、まちおこしや趣味の対象にもなりました。記念日の由来と各地の祭りについては、招き猫の日の記事にまとめました。

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海外へ広がる招き猫

いまの招き猫は、日本の外でも作られ、飾られる縁起物です。民俗学者の島村恭則氏は研究所の取材で、中国の飲食店で招き猫を見かけることは多いと話しました。

島村氏によると、手が自動で動く金色のものも含め、招き猫はアジア各地に広まっています。その多くは日本から輸入されたというより、現地で作られ、流通しているものだそうです。

欧米や韓国でも、招き猫は観光の土産やインテリアとして好まれていると島村氏は語ります。観光庁が外国人向けにまとめた常滑の解説文でも、招き猫は「lucky cat」と英語で紹介されました。

美術の分野では、香港の美術館M+が、横尾忠則氏が日本招猫倶楽部のために手がけた1996年のポスターを収蔵しています。つまり招き猫は、土産物からデザインの資料まで、さまざまな形で海を越えたのです。

海外で招き猫が好まれる理由と、島村氏が語る招き猫の地域差は、次の記事で詳しく読めます。

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よくある質問

Q. いちばん古い招き猫は何ですか?

A. 実物で古い作例とされるのは、今戸焼の土人形「丸〆猫」です。嘉永5年(1852年)に江戸で流行した記録が残り、辞典でも招き猫の最も古い作例と説明されています。ただし、それより前に手を挙げた猫の人形があったかどうかを示す資料は見つかっておらず、起源の年ははっきりしていません。

Q. 招き猫の生産で知られる県はどこですか?

A. 愛知県です。明治30年代に瀬戸が磁器の招き猫の量産を始め、戦後は常滑で二頭身の招き猫が生まれました。愛知県の公式観光サイトでは、常滑系の招き猫は全国のおよそ8割にのぼるといわれます。瀬戸では、毎年9月末に祭りも開かれています。

Q. 招き猫は日本と中国のどちらで生まれたものですか?

A. 置物としての招き猫は、江戸時代の日本で生まれたものです。今戸焼の丸〆猫が江戸の町で売られた記録も、その裏づけになるでしょう。猫が顔を洗うと客が来るという中国の言い伝えが手招きの姿に重ねられることはあります。一方で中国の店先の招き猫も、現地では日本のものらしいと受け止められているそうです。

招き猫研究所がつくる招き猫「Luxen Maneki」

招き猫は時代ごとに素材と作り手を変えながら、江戸から令和まで受け継がれてきました。手元に迎える一体にも、どの産地で誰が作ったのかという背景を求めたくなるのではないでしょうか。

「Luxen Maneki」は、研究所の運営会社が手がける瀬戸焼の招き猫です。量産品との違いは、注文ごとに職人が手描きで金彩を入れ、仕上がりまで約4〜6週間をかける点にあります。

完成した招き猫は、特製の桐箱に入れてお届けしています。湿気を吸って吐き、燃えにくい桐は、かつて金庫の内箱の材としても選ばれた木です。

まとめ

招き猫の歴史は、嘉永5年(1852年)の丸〆猫の流行から記録でたどれます。明治には瀬戸が磁器で量産を始め、大正には瀬戸で輸出向けの置物づくりも本格化しました。

戦後は常滑で生まれた二頭身の姿が高度経済成長とともに全国へ広がり、平成には記念日や祭りが生まれています。

手元の招き猫の形や素材を見て、どの時代の流れを受け継ぐ一体なのかを確かめてみましょう。産地の博物館や祭りを訪ねると、時代ごとの招き猫の違いを実物で見比べられます。