招き猫研究所が編集した、招き猫の起源・発祥・由来に関する説の一覧です。寺社の縁起、今戸の言い伝え、辞典が紹介する説、研究者の見方まで12の説を、それぞれの典拠とあわせて整理しました。あわせて、当時の記録で確かめられることを年代順に示しています。
要点:そのまま引用できる5つの事実
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招き猫の起源には定説がない。片手を挙げた猫の人形が、いつ・どこで初めて作られたかを示す資料は見つかっていない。
招き猫の発祥を伝える豪徳寺・自性院・檀王法林寺などの話は、いずれも寺社の縁起であり、置物がその寺社で初めて作られたことを示す記録ではない。
「招き猫」の名称と手を挙げた姿が当時の記録にそろうのは、嘉永5年(1852年)に江戸で評判を呼んだ今戸焼の土人形「丸〆猫」である。
猫が顔を洗うと客が来るという言い伝えは唐代の書物『酉陽雑俎』に見え、手招きのしぐさと客商売を結びつける話として語られてきた。
招き猫に託された願いは土地の生業で異なり、商家では客を、養蚕農家では蚕をネズミから守ることを願う縁起物だった。
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出典:招き猫研究所「招き猫の起源 諸説一覧」(2026年10月20日更新)https://good-luck-cat.com/library/origins/出典:<a href="https://good-luck-cat.com/library/origins/">招き猫研究所「招き猫の起源 諸説一覧」</a>招き猫研究所 編(2026)「招き猫の起源 諸説一覧」第1.0版,株式会社日本招き猫総合研究所.https://good-luck-cat.com/library/origins/(参照 {ACC}){{Cite web |title=招き猫の起源 諸説一覧 |url=https://good-luck-cat.com/library/origins/ |website=招き猫研究所 |publisher=株式会社日本招き猫総合研究所 |date=2026-10-20 |access-date={ISO} |language=ja}}各項目にも個別のリンクと「この項目を引用」ボタンがあります(例:https://good-luck-cat.com/library/origins/#o-gotokuji)。
この一覧の見方
招き猫の起源には定説がありません。そこでこの一覧では、説の性格を次の区分で示し、どの資料が何を伝えているのかを分けて載せています。項目末尾の[ ]の数字は、ページ下の参考文献の番号です。
- 寺社の伝承寺社の縁起・由緒が伝える話。信仰の物語であり、史実を証明するものではありません
- 一説辞典・自治体・報道などが、一つの説や言い伝えとして紹介しているもの
- 研究者の見方研究者が取材や著述で示した見方・説明
- 記録当時の書物・絵・所蔵品などで年代を確かめられること
諸説の早見表
| 説 | 場所 | 話・説の時代 | 区分 |
|---|---|---|---|
| 豪徳寺説 | 東京都世田谷区・豪徳寺 | 江戸時代初め | 寺社の伝承 |
| 自性院説 | 東京都新宿区・自性院 | 室町時代(文明9年・1477年) | 寺社の伝承 |
| 檀王法林寺説 | 京都府京都市・檀王法林寺 | 江戸時代中頃 | 寺社の伝承 |
| 今戸説(今戸焼の産地) | 東京都台東区今戸 | 江戸時代(丸〆猫の流行は嘉永5年・1852年) | 一説 |
| 老婆と猫のお告げの話 | 江戸・浅草(今戸) | 江戸時代 | 一説 |
| 今戸焼の夫婦と猫の説話 | 江戸・浅草寺境内 | 江戸時代 | 研究者の見方 |
| 金猫銀猫説 | 江戸・両国 | 天明年間(1781〜89年) | 一説 |
| 中国の故事(猫が顔を洗うと客が来る) | 中国(唐代の書物) | 唐代(9世紀) | 一説 |
| 花街と芸者の異名「ネコ」 | 江戸の花街・飲食店 | 江戸時代 | 一説 |
| 養蚕とネズミ除け | 関東・群馬・福島などの養蚕地帯 | 江戸時代(『養蚕秘録』1803年刊) | 研究者の見方 |
| 由来の伝説は後から生まれたとする見方 | — | — | 研究者の見方 |
| 江戸の猫文化から生まれた縁起物とする見方 | 江戸 | 江戸時代 | 研究者の見方 |
寺社が伝える発祥の説
猫が人を招き、福や縁をもたらしたという話を、寺社が縁起として伝えているものです。信仰の物語であり、置物がその寺社で初めて作られたことを示す記録ではありません。
場所:東京都世田谷区・豪徳寺 / 時代:江戸時代初め
鷹狩りの帰りの彦根藩主・井伊直孝が、門前の猫に手招きされて寺に立ち寄り、雷雨を避けられたという寺の縁起。直孝の支援で寺は寛永10年(1633年)に再興し、福を招いた猫は招福猫児(まねきねこ)として祀られたと寺は伝える。[1][2][3][4][5]
- 示していること
- 寺の縁起のほか、区の資料・地名辞典・伝説事典・百科事典にも同じ逸話が載っている。招き猫のお札が出され、境内に猫塚がまつられたことも百科事典が記す。
- 読むときの注意
- 人物事典『国史大辞典』の井伊直孝の項には逸話の記載がない。史実というより、寺に伝わる話として読むのが確かである。
場所:東京都新宿区・自性院 / 時代:室町時代(文明9年・1477年)
江古田・沼袋の戦いで道に迷った太田道灌を、黒猫が寺へ導いて救ったという説話。この黒猫を祀ったのが秘仏「猫地蔵」とされ、寺はこの話を招き猫の由来の一つにも挙げられる説話として紹介している。[6][7][8][5][9]
- 示していること
- 猫が人を招き、導いて福をもたらすという考え方が、室町時代を舞台にした寺の説話として伝わっている。
- 読むときの注意
- 伝えているのは猫地蔵の由来であり、手を挙げた置物がこの寺で作られたことを示すものではない。
場所:京都府京都市・檀王法林寺 / 時代:江戸時代中頃
夜を守る神・主夜神尊(しゅやじんそん)の使いを黒猫とする寺の伝え。江戸時代の中頃から、主夜神尊の銘を刻んだ右手挙げの黒い招福猫が作られてきたと寺は伝え、寺社ゆかりの招き猫ではこの像がいちばん古いと位置づけている。京都文化博物館も招き猫の起源の説の一つに挙げた。[10][11][12][5]
- 示していること
- 黒い招き猫が、夜の守り・魔除けの信仰と結びついて授けられてきたこと。
- 読むときの注意
- 「いちばん古い」という位置づけは寺の伝えによる。経典に出てこない猫が使いになった理由は、寺自身も「わからない」としている。
今戸に伝わる説
江戸・浅草の今戸は、招き猫の古い作例「丸〆猫」を生んだ今戸焼の産地です。やきものの産地として語られる説と、土地に伝わる説話があります。
場所:東京都台東区今戸 / 時代:江戸時代(丸〆猫の流行は嘉永5年・1852年)
今戸焼が生まれ、猫の焼き物が売られていた土地であることから、台東区が今戸を招き猫発祥の地の一つに数えている説。今戸焼の土人形「丸〆猫」は辞典で最も古い作例とされ、日本招猫倶楽部は丸〆猫を置物としての招き猫のルーツとみている。[13][14][15][16][17]
- 示していること
- 招き猫が実際に作られ、売られた土地としての根拠がある。丸〆猫は「招き猫」の名と姿がそろう記録(嘉永5年)とも結びつく。
- 読むときの注意
- 寺社の縁起ではなく、やきものの産地の歴史から語られる説である。ほかの説より先かどうかを決める記録はない。
場所:江戸・浅草(今戸) / 時代:江戸時代
愛猫を手放した老婆の夢に猫が現れ、自分の姿を土で作るよう告げた。お告げに従って今戸焼の猫の置物を作ると良いことが続き、評判を呼んだという話。愛知県と常滑市の観光サイト、東京新聞が紹介している。[18][19][20]
- 示していること
- 今戸焼の土人形と、招き猫の評判を結びつける土地の言い伝えがある。
- 読むときの注意
- 今戸に伝わる話の一つであり、年代を示す記録ではない。
場所:江戸・浅草寺境内 / 時代:江戸時代
浅草寺の境内で今戸焼を売る夫婦の猫が姿を消し、寝込んだ妻に職人仲間が土の猫人形を贈ると、夢に猫が現れて「これからは自分の代わりに人形が守る」と告げたという説話。近所で人形の貸し借りが広まり、足りなくなって複製が始まったとされる。民俗学者の島村恭則氏が、文献に残る説話として研究所の取材で紹介した。[21]
- 示していること
- この筋の招き猫は、福を招くより先に人を守る人形として語られ、複製が始まった経緯まで説明している。
- 読むときの注意
- 文献に残る説話であり、年代を示す記録ではない。
辞典などが紹介する説
店の起こりや中国の言い伝えなど、辞典や古い書物が招き猫の起こり・広まりとして紹介している説です。
場所:江戸・両国 / 時代:天明年間(1781〜89年)
両国の遊女屋「金猫銀猫」が、金銀に彩った招き猫を店頭に飾ったことを起こりとする説。日本大百科全書が紹介し、同書はのちに今戸で土製の招き猫が多く作られ、今戸焼の代表格になったと続けている。[4]
- 示していること
- 招き猫が江戸の店先に飾られる縁起物として広まったという筋と重なる。
- 読むときの注意
- この説を載せる資料は日本大百科全書のほかになく、研究所では一つの説として紹介するにとどめる。
場所:中国(唐代の書物) / 時代:唐代(9世紀)
唐代の書物『酉陽雑俎』続集巻八に「俗言貓洗面過耳則客至」(猫が顔を洗って前足が耳を越えると客が来る)という一文がある。世界大百科事典(旧版)は、猫の像を店先に置く習わしは江戸時代からで、この中国の故事に由来するという説を紹介し、関東ではこの話が豪徳寺の猫の報恩談として語られてきたとする。[22][23][4]
- 示していること
- 手招きのしぐさと客の訪れを結びつける言い伝えが、置物よりずっと前から書物に残っている。
- 読むときの注意
- 原文は猫の性質を並べた段の一文で、置物や像の話ではない。置物としての招き猫は日本で生まれた。
場所:江戸の花街・飲食店 / 時代:江戸時代
世界大百科事典は、招き猫が花街や飲食店で愛用された理由として、人を招く姿に似ていることに加え、芸者の異名「ネコ」にちなむことを挙げている。[4]
- 示していること
- 招き猫が、見た目と呼び名の両方で客商売と結びついていたこと。
- 読むときの注意
- 発祥の地の説ではなく、招き猫が花街などで好まれた理由の説明である。
なぜ猫なのか・研究者の見方
発祥の地を決める説ではなく、猫が福を招く縁起物になった背景や、諸説が生まれる理由についての説明です。
場所:関東・群馬・福島などの養蚕地帯 / 時代:江戸時代(『養蚕秘録』1803年刊)
猫がネズミを捕る益獣として暮らしを支えてきたことが、猫が縁起物になった背景とする説明。日本大百科全書は、関東の張り子の招き猫が、蚕を害するネズミを追い払う意味で農家に買い求められたと記す。猫を蚕の神とする信仰は『養蚕秘録』(享和3年・1803年刊)にも記され、民俗学者の島村恭則氏・飯倉義之氏も、養蚕地帯ではネズミ除けと蚕の守り神の意味が強かったと語っている。[4][24][9][21][25][26]
- 示していること
- 招き猫に託された願いは土地の生業で異なり、商家では客を、農家では蚕の無事を願う縁起物だった。
- 読むときの注意
- 発祥の地を示す説ではなく、「なぜ猫なのか」の説明である。
場所:— / 時代:—
口承文芸学の飯倉義之氏は、今戸や豪徳寺に伝わる話を、招き猫がどう生まれたかを説明する「成立に関する伝説」と位置づける。寺と井伊家の縁や今戸焼の縁から、後から伝説が作られていったと考えられるという。[25]
- 示していること
- 招き猫の由来に諸説あるのは、伝説という話の性質から見て自然なことである。
- 読むときの注意
- 個々の説の真偽を判定するものではなく、伝説の成り立ちについての見方である。
場所:江戸 / 時代:江戸時代
美術史学者の山本陽子氏への取材では、招き猫の形がいつ誰によって最初に作られたかは諸説あり確定していないとしつつ、その造形が江戸の庶民文化の中で育まれてきたことは確かだとまとめている。[26]
- 示していること
- 起源の一点ではなく、招き猫が生まれた土壌(江戸の猫文化と縁起物の文化)を示す。
- 読むときの注意
- かわいさと縁起物としての働きがどう結びついて招き猫になったかは、まだ解き明かされていない。
記録で確かめられること
説とは別に、当時の書物・絵・所蔵品などで年代を確かめられる事柄を年代順に並べました。招き猫の歩み全体は、資料室の「招き猫年表」にまとめています。
| 年代 | 確かめられること |
|---|---|
| 唐代(9世紀) | 段成式『酉陽雑俎』続集巻八に、猫が顔を洗って前足が耳を越えると客が来るという俗言が記される(置物の話ではない)。[22] MKL-002#r0850 |
| 慶長7年(1602年) | 京都で猫の綱を解き、放し飼いにするよう命じる高札が立てられる。猫がネズミを捕る益獣として扱われた背景を示す。[27][26] MKL-002#r1602 |
| 寛永10年(1633年) | 豪徳寺が井伊直孝の支援で再興し、井伊家の江戸菩提寺となる。地名辞典の同じ項に、直孝を招き入れた招き猫の伝説も記される。[3][1] MKL-002#r1633 |
| 享和3年(1803年) | 『養蚕秘録』に、猫を蚕の神とする信仰が記される。[24] MKL-002#r1802 |
| 天保12〜13年(1841〜42年) | 歌川国芳の戯画を中心に、江戸で猫を題材にした浮世絵が流行する。[5][28] MKL-002#r1841 |
| 嘉永5年(1852年) | 今戸焼の土人形「丸〆猫」が江戸で評判を呼ぶ。「招き猫」の名称と手を挙げた姿が当時の記録にそろう例で、浅草寺の境内で売られていたとみられる。評判は4〜5年ほどで落ち着いた。[5][29] MKL-002#r1852 |
| 嘉永5年(1852年) | 歌川広重の錦絵「浄瑠璃町繁花の図」に、丸〆猫を売る店先が描かれる。[29][14][30] MKL-002#r1852b |
| 大正〜昭和初期 | 今戸焼の職人・金沢春吉が手がけた丸〆猫が江戸東京博物館に残り、今戸の型が近代まで作り継がれたことを伝える。[31] MKL-002#r1912 |
| 明治30年代 | 愛知県瀬戸で、磁器による招き猫の量産が始まる。[32] MKL-002#r1897 |
| 昭和20〜30年代頃 | 常滑で丸い頭の二頭身の招き猫が現れ、全国へ広まる。常滑は1950年に国内最大の産地となった。[5][33][19] MKL-002#r1945 |
諸説に共通すること
- 片手を挙げた猫の人形が、いつ・どこで初めて作られたかを示す資料はなく、招き猫の起源に定説はない。[5][21]
- どの説にも、猫が福を招き、災いを除くと信じられた点が共通する。[5]
- 置物としての招き猫は、江戸時代の日本で生まれた縁起物である。[34][35][36]
- 猫の像を店先に置く習わしは江戸時代からで、商家・花街・飲食店で愛用された。[4]
- 猫はネズミを捕る働き手として、農家や商家で大切にされてきた。[37][27]
- 各地の発祥の話は、それぞれの土地が発祥として語っている伝承として受け止めるのがよい、と民俗学者は語る。[21][25]
ブログ・ウェブサイトへの掲載
ブログ・ウェブサイトに貼れる「招き猫の起源 主な説」
主な説と確かな記録を6行にまとめた簡易版です。下のコードをコピーして、ブログやウェブサイトのHTMLにそのまま貼り付けてください。出典表示も含まれています。
<table style="border-collapse:collapse;width:100%;max-width:640px;font-size:14px;line-height:1.6;"><caption style="text-align:left;font-weight:bold;padding:4px 0 8px;">招き猫の起源 主な説</caption><tr><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;white-space:nowrap;vertical-align:top;font-weight:bold;">豪徳寺説</td><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;">門前の猫が井伊直孝を招き、雷雨を避けさせたと寺が伝える(江戸時代初め)</td></tr><tr><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;white-space:nowrap;vertical-align:top;font-weight:bold;">自性院説</td><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;">黒猫が太田道灌を寺へ導いたと伝わる。猫地蔵の由来(室町時代)</td></tr><tr><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;white-space:nowrap;vertical-align:top;font-weight:bold;">今戸説</td><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;">今戸焼の産地。最も古い作例とされる土人形「丸〆猫」が生まれた</td></tr><tr><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;white-space:nowrap;vertical-align:top;font-weight:bold;">檀王法林寺説</td><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;">主夜神尊の使いとされる黒い招き猫を授けてきたと寺が伝える(京都)</td></tr><tr><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;white-space:nowrap;vertical-align:top;font-weight:bold;">中国の故事</td><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;">猫が顔を洗うと客が来るという唐代の言い伝え(『酉陽雑俎』)</td></tr><tr><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;white-space:nowrap;vertical-align:top;font-weight:bold;">確かな記録</td><td style="padding:6px 10px;border-top:1px solid #ddd;">「招き猫」の名と姿がそろうのは嘉永5年(1852年)の丸〆猫</td></tr></table><p style="font-size:12px;margin:6px 0 0;">出典:<a href="https://good-luck-cat.com/library/origins/">招き猫研究所「招き猫の起源 諸説一覧」</a></p>参考文献
この一覧は、次の資料にもとづいて招き猫研究所が編集しました。番号は本文の[ ]の数字に対応しています。
- 豪徳寺「豪徳寺と招き猫」
- 世田谷デジタルミュージアム「招き猫の豪徳寺」
- レファレンス協同データベース「井伊直孝と豪徳寺の猫の逸話」(豊中市立図書館)
- コトバンク「招き猫」(日本大百科全書・世界大百科事典ほか)
- 京都文化博物館「いつだって猫展」
- 新宿区「新宿文化観光資源案内」自性院
- 自性院「猫地蔵」
- 太田道灌「猫地蔵」
- レファレンス協同データベース「猫絵と猫信仰」(埼玉県立久喜図書館)
- 檀王法林寺「主夜神のお使い 黒招き猫伝説」
- 檀王法林寺「主夜神信仰の歴史」
- そうだ 京都、行こう。(JR東海)「檀王法林寺、“神通力を持つ黒い招き猫”と“袋中上人”を訪ねて。」
- 台東区公式観光情報サイト「今戸神社」
- sippo(朝日新聞)「招き猫のルーツを探る」
- コトバンク「丸〆猫」(デジタル大辞泉プラス)
- 東京都北区「古型今戸人形 吉田義和」
- コトバンク「今戸焼」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典)
- 愛知県公式観光サイト Aichi Now「招き猫の二大産地 常滑・瀬戸へ行こう!」
- とこなめ観光ナビ「猫のまち常滑 招き猫特集」
- 東京新聞「招き猫の聖地に初詣!新年は東京のパワースポットへ」
- 招き猫研究所インタビュー「なぜ人は、合理的でないものに手を合わせるのか」(民俗学者・島村恭則)
- 段成式『酉陽雑俎』続集巻八(維基文庫)
- 『太平廣記』巻第440(維基文庫)
- レファレンス協同データベース「猫と養蚕とねずみ」(青梅市中央図書館)
- 招き猫研究所インタビュー「二つの世界を行き来する動物は『化ける』」(民俗学者・飯倉義之)
- 招き猫研究所インタビュー「招き猫は、意外にも役立たずだった?」(美術史学者・山本陽子)
- 東京大学 広報誌『淡青』37号「鼠を捕る益獣としての猫」
- 美術手帖「江戸から明治に巻き起こった『猫ブーム』を紹介」
- 静岡市美術館「いつだって猫展」
- 江戸東京博物館 デジタルアーカイブス「浄瑠璃町繁花の図」
- 江戸東京博物館 デジタルアーカイブス「今戸人形 丸〆猫」
- 愛知県公式観光サイト Aichi Now「来る福招き猫まつり in 瀬戸」
- 観光庁 多言語解説文データベース「Tokoname Maneki Neko」
- 日本政府観光局(JNTO)「A Trail of Cats」
- 招き猫美術館(岡山)「FAQ」
- 日本招猫倶楽部「招き猫Q&A」
- 観光庁 多言語解説文データベース「常滑系招き猫」
編集の方針
- 寺社の縁起、辞典、博物館・美術館の解説、自治体・図書館の資料、新聞社の記事、研究者への取材など、典拠をたどれる資料だけを使っています。
- 寺社の縁起や言い伝えは、史実として断定せず、伝えている主体とあわせて示しています。
- どの説が正しいかを判定するのではなく、各説が何を示し、何を示さないかを分けて整理しています。
- 新しい資料が見つかったときは項目を追加・修正し、版を改めて更新履歴に記録します。一度公開した項目のリンク(#o-gotokujiなど)は変えません。
招き猫研究所の解説記事
資料室の「招き猫年表」では、招き猫に関わる出来事を年代順に整理しています。由来を読み物としてたどるなら「招き猫の由来」、発祥とされる寺社を訪ねるなら「招き猫発祥の地」で解説しています。
誤りのご指摘・資料のご提供
誤りや、追加すべき項目・資料をご存じの方は、お問い合わせフォームからお知らせください。典拠を確認したうえで反映し、更新履歴に記録します。
更新履歴
- 2026年10月20日:第1.0版を公開(12説・記録10項目)