行灯の油をなめ、美しい姫君に化けて人を襲う化け猫。片手を挙げて、客や福を招く招き猫。
同じ猫が、なぜこれほど正反対の姿で語られてきたのか。
民俗学者の飯倉義之氏(以下、飯倉氏)は、國學院大學文学部日本文学科の教授として、口承文芸学と現代民俗論を専門に、世間話や都市伝説、妖怪をめぐる「話」を研究してきた。
論考「猫は化けるが役に立つ――猫をめぐる民俗」(『猫の怪〈江戸怪談を読む〉』白澤社、2017年)では、猫にまつわる民俗を「話」の側から読み解いている。
今回は飯倉氏に、昔話・伝説・世間話といった「話」の入口から、化け猫と招き猫を見ていただいた。
第1章:招き猫の由来は「伝説」である――民話の3つの種類
話は、飯倉氏の専門である「口承文芸」とは何か、というところから始まった。
口承文芸は「生活の中の言葉」をとらえる学問
口承文芸は、民俗学者の柳田國男が民俗学の一分野として設定したものだ。言葉を使ったコミュニケーションと、その表現の技術に注目する。
口承文芸と聞くと民話を思い浮かべるが、対象はそれだけではない。民謡やわらべ歌、ことわざ、なぞなぞ、新しい言葉をつくること、そして方言まで。生活の中で使われる言葉の総体をとらえようとするのが、口承文芸だという。
中でも研究する人が多いのが民話で、飯倉氏はその中でも学校の怪談や都市伝説といった現代の話に注目してきた。それが「現代民俗論」という、もう一つの専門につながっている。
方言もまた、生活が生んだ言葉だ。雪の多い地域には雪の状態を表す言葉がたくさんあり、天気の変わり方への注意はことわざのような形で伝わってきた。
柳田國男は、方言を地域の暮らしに必要だから生まれた文化として、大事にすべきだと説いた。方言をなくしていこうという動きが強かった時代のことだ。
方言がどんどんなくなっているということは、生活の中で特に必要とされていないっていうこともあるわけですよね。方言を使わないと表現できないような領域が、どんどん減っているっていうことだと思うんですね。
飯倉氏
言葉は、集団の印にもなる。山手言葉や女学生言葉、ヒップホップの略語、ひと昔前の2ちゃんねる語。それを知っていて使えることが、同じ集団に属しているという意識の表れになる。
民話も同じように、人と人とのあいだで共有されてきた言葉だ。
昔話・伝説・世間話――「本当」の扱い方で分かれる
民話は、民間説話を略した言葉だ。民間に口伝えで伝わってきた話を指し、主に3つに分けて考えられるという。
一つ目は昔話。桃太郎や一寸法師のように、私たちが「民話」と聞いて思い浮かべる話だ。
「昔々、あるところに」と始まって、昔々とはいつか、あるところとはどこかは突き詰めない。今でないとき、ここでないところで起きた、本当じゃない話なんだよっていうのを、話し手も聞き手も理解して聞くんですね。
飯倉氏
だから昔話の中では、死んだ人が簡単に生き返り、扇であおぐと鼻が伸び、おじいさんがネズミの穴に入ってネズミの国へ行ってしまう。
二つ目は伝説。その土地にあるものごとが、どうしてそうなったのかを説明する話だ。この岩にはなぜこの名前がついたのか、この池はどうして湧いたのか。
「源頼朝がここを通りかかったときに腰掛けた。これが頼朝公の腰掛け石である」というように、歴史上のある一点で起きたことによって、今ここにこれがあると説明する。伝説は土地と結びついた、「我が土地の歴史」なのだ。
ただし、本当に起きたことかどうかは別の話だ。飯倉氏は、平家の落人伝承を例に挙げた。
源氏に敗れた平家が落ち延びてきて、この村を開いた――そんな伝承は、全国に400か所ほどあるという。
一人では村は作れない。仮に4、5人ずつ落ち延びたとすると、1,600人から2,000人が落ち延びたことになる。それでは壇ノ浦で、源氏と平氏の力関係が逆転してしまう。
なんでこんな山奥に村があるんだろう、平地にいられない理由があったんじゃないか。そこで大量殺人犯とか思いたくないですから。何か由緒があるだろうっていったときに、さる高貴な人が追われていたんじゃないかっていう想像力が働いて、逃げ出す高貴な人っていったら平家だろう、という形で作られていく。そこにちょっと古い旗とかがあったら、ほら平家だったっていうことになるわけですね。
飯倉氏
三つ目が世間話。これも本当にあったこととして伝わる話だが、伝説が昔の話であるのに対し、世間話は話し手と聞き手に身近な時間と場所で起きた、同時代の珍しい出来事だ。
狐に化かされた、幽霊を見た、河童が出た。その現代版が、都市伝説や学校の怪談だと飯倉氏は考えている。昔なら河童、今なら口裂け女やトイレの花子さんというわけだ。
「ものより先に由来はできない」
では、招き猫の由来の話は、3つのうちのどれにあたるのか。
飯倉氏の答えは、「伝説」だった。今戸や豪徳寺に伝わる話は、招き猫がどのようにして生まれたのかを説明する、成立に関する伝説だという。
たとえば井伊直孝の話。江戸時代の初め、猫が殿様を招き入れて助けた。だから猫をかたどるとよいことがあるとされ、今ここにこの猫がいる――。「これがそうです」と指させるのが、伝説の特徴だ。
そのうえで飯倉氏は、由来と招き猫の順番について、こう話す。
ものより先に由来ができることはないので、どうして招き猫ってものがあるんだろうっていうことを説明するのに、後からおそらく、そのお寺と井伊家の縁とか、今戸焼の縁とかで、伝説が作られていったんだろうと考えますね。
飯倉氏
招き猫の由来に「諸説ある」のは、伝説という話の性質から見れば、自然なことなのかもしれない。
第2章:二つの世界を行き来する動物は「化ける」

招き猫の話をする前に、そもそも猫とはどんな動物として見られてきたのか。飯倉氏は、猫が日本にやって来たところから話を始めた。
猫はもともと「よそ者」だった
日本にも山猫はいたらしい。しかし、今の家猫のもとになっているのは、中国から少しずつ入ってきた猫だ。家猫は、もともと日本にはいなかった動物なのだ。
その名残が、漢字に残っているという。中国では「猫」が家猫で、「狸」という字は山猫を指していた。
ところが日本には家猫がおらず、山にいる丸っこい生き物といえばたぬきだった。だから「狸」の字は、日本ではたぬきを指すようになった。同じ字でも、中国と日本で指すものが違うのだ。
家猫が日本に入ってきたのは、仏教とともにだったという。
仏教の経典などをネズミが食い荒らすのを防ぐために、猫を飼って経典を守るということで、お寺と猫のつながりがあったんですね。そうなってくると、猫っていうのはありがたいもので、宝にも等しい経典を守っている。福を守るっていういい面が、イメージされるわけですよね。
飯倉氏
招き猫につながる「福」の顔は、猫がやって来たときから、すでにあったことになる。
宮中で愛され、ときおり野生の目を見せる
猫は、早くから「かわいいもの」とも見られていた。ほかの動物にはない愛らしさや人なつこさがあり、平安時代には愛玩動物としての猫が定着していく。
『枕草子』には、宮中にいることを許された猫「命婦のおとど」が登場する。『源氏物語』で女三宮の姿が垣間見られてしまうのも、猫が御簾を引き上げたからだ。猫は、上流階級の暮らしの中で愛されていた。
一方で、猫はときおり野生動物の顔を見せる。
かわいがっていたのに、急に姿を消したかと思うと、鳥やネズミを仕留めて帰ってくる。光によって瞳の大きさが変わり、時計のない時代には猫の目で時刻を知ったともいわれるほどだ。かわいいくせに、爪や牙は鋭い。
さらに、野生の猫は群れずに一匹で行動するはずなのに、猫は「集会」を開く。野良猫が多かったころは、空き地での猫の集会が都市部でもよく見られたという。
決定的なのは「家と外を行き来する」こと
そして飯倉氏が「決定的」と言うのが、猫の暮らす場所だ。
猫は動物ですけども、動物のくせに、人間の家に住んでるんですよね。そして、外にも出ていく。外の世界と人間の家っていう、二つの世界を行き来する動物っていうのは、化ける動物、化かす動物って言われやすいんですね。
飯倉氏
二つの意味をあわせ持つことを、「両義性」という。化ける・化かすと言われる動物を並べると、この両義性が見えてくる。
狐や狸は、野原にいる動物なのに人里に出入りする。狐は鶏を狙ってやって来て、狸は残飯をあさりに来る。
カワウソは、ずっと水に潜っていたかと思うと、魚をつかんで上がってくる。水の中と陸の世界を自由に行き来する動物だと思われていた。
カワウソやイタチ、テンは、後ろ足で立って、手で物をつかむこともできる。動物なのに、人間のように手を使う。これも両義性だ。
ネズミも同じだという。手が使え、人間の家に入り込み、地下に穴を掘って地下と地上を行き来する。おむすびころりんのようにネズミの国を持っていると語られ、長野県などでは、夜の金縛りはネズミが天井裏から不思議な力でかけているのだ、とも言われてきた。
いくつもの世界を行ったり来たりする動物は、不思議な力を持っていると思われやすい。猫も、そのグループに入るのだ。
熊も猪も、犬も化けない
逆に、二つの世界を行き来しない動物を考えると、よくわかるという。
熊や猪、鹿が化けるとは、ほとんど言わない。山の中にいるのが当たり前で、人里に来て何かをすることはないからだ。
犬も化けるとは言われない。昔の犬は家に上げてもらえず、外で飼われていた。群れで暮らす動物なので、人から離れて勝手に野山を駆けまわることもなく、ずっと村の中にいる。
だから犬は、人間の側についている、意味を二つ持たない動物だと思われたんですね。
飯倉氏
熊や猪は山の側、犬は人間の側。そのどちらでもなく、人里と山野を行き来する狐や狸、そして人の家と外を行き来する猫が、「化ける・化かす」グループに入れられた。
猫と狐が同じ仲間と見られていたことは、言い回しにも残っているという。「猫の後ろに狐がいる、狐の後ろに狼がいる」。猫が悪さをしている後ろで狐が糸を引き、その後ろで狼が糸を引いている、という意味だ。
チンピラの後ろにはリーダーがいて、その後ろには大物がいる、というたとえに近い。猫・狐・狼が一つの線でつながる、同じカテゴリーの動物と見られていたことがよくわかる、と飯倉氏は言う。
経典を守る「福」の顔と、野生の目をのぞかせる「魔」の顔。家と外、二つの世界の境目に暮らす猫は、はじめから二つの顔を持つ動物だった。
第3章:猫には、猫だけの社会がある
猫の話には、もう一つ、世界中で繰り返し現れるテーマがある。人間には秘密の、猫だけの社会だ。
猫又屋敷――かわいがっていた三毛が教えてくれたこと
福島県の猫魔ヶ岳や、九州の猫岳には、いなくなった猫がそこへ行き、猫又になる修行を積んでくる、死んだ猫はそこへ行く、という話が伝わる。そこには猫の首領がいて、猫は猫の王を中心にした、猫だけの社会を持っているというのだ。
この猫の山を舞台にした昔話に、「猫又屋敷」がある。
猫の山に迷い込んだ旅人が、山中で大きな屋敷を見つける。泊めてほしいと頼むと「ようこそ」と歓迎され、風呂へ案内される。ところが、案内に来た女中がささやく。
「今すぐ逃げてください。ここは猫又屋敷で、ここにいる者はすべて猫です。人間にいじめられて恨みを持っている猫が多く、あなたを風呂に入れて猫にし、みんなでいじめようとしています」。
なぜ教えてくれるのかと尋ねると、女中は答える。「私は、あなたの家でかわいがってもらった三毛です」。
旅人が逃げ出すと、猫たちは「待て」と追いかけてきて、餅をぶつけたり、湯をかけたりする。なんとか人里までたどり着き、助かったと体を確かめると、餅や湯の当たったところに、猫の毛がびっしりと生えていた。あのままいたら、猫にされていたのだ。
猫の屋敷がどこかにあって、猫はみなそこに属している。そんな猫のネットワークが、思い描かれていたのだという。
三毛猫が縁起の良い猫とされてきた理由や、招き猫の三毛に込められた意味は、次の記事で整理している。
ヨーロッパの「猫の王」
ヨーロッパにも、よく似た話がある。「猫の王」と呼ばれる話だ。
ある村人が夕方、村へ帰ろうと歩いていると、道端に見かけない猫がいる。その猫が、聞いたこともない名前を挙げて「トム・ティルドラムに伝えてくれ。ティム・トルドラムが死んだと」と言って、ふっと消えてしまう。
猫が喋った。今のは何だったのか。村人はパブへ行き、不思議なことがあったと、聞いたままを話す。すると、パブで寝ていた猫が起き上がる。
「ティム・トルドラムが死んだのか。じゃあ次は俺が王だ」。
そう言って出ていき、二度と戻らなかった。田舎のパブで寝ていた猫が、実は次の猫の王の候補だったのだ。
猫のネットワークっていうのは、人間とは全然関係なく張り巡らされていて、猫には猫の社会があるっていうことを、やっぱりヨーロッパでも、猫の集会なんかを見て考えたのかな、と。
飯倉氏
手拭いが消える家――全国に伝わる「猫の踊り」

もう少し身近な猫の集会の話が、日本全国に伝わる「猫の踊り」だ。
発端はだいたい、ある家で手拭いがよくなくなる、というところから始まる。
千葉県に伝わる例では、庄屋さんが夜遅く村外れを通りかかると、猫がたくさん集まっている。そのうちの一匹が「今日は庄屋さんのところの猫が遅いな」と言う。うちの猫のことか、と見ていると、飼い猫が手拭いをくわえてやって来る。
「すっかり遅くなってしまった。手拭いをあまりに持ち出したものだから、見張りが厳しくなってね。それに今日はお粥を冷まさずに出されたものだから、猫舌でご飯を食べるのが遅くなってしまって」。
そうして飼い猫がいい声で歌いだし、みんなで踊りを踊る。
家に帰って確かめると、確かに手拭いはなくなっていて、お粥も熱いまま出していた。翌朝、帰ってきた猫に「お前、手拭いを使っていたな」と言うと、猫は「見つかったか」という顔をして逃げ出し、二度と帰ってこなかった――。
なぜ猫は踊るのか。飯倉氏は、猫が集まって集会をすること、そして猫じゃらしでじゃらすと二本足で立つことを挙げる。
猫が集まる、踊る、じゃあ何してるんだろう、盆踊りだっていう。娯楽がない時代には、盆踊りは人間にとっても一大レクリエーションでしたから、猫だってやるだろうと。
飯倉氏
江戸の浮世絵師・歌川国芳は、「猫の国芳」と呼ばれるほどの猫好きで、怖い化け猫の絵の端にも、かわいく踊る猫をちょこんと描き込んだ。
猫の踊りは、今も地名に残っている。横浜市営地下鉄の踊場駅(横浜市戸塚区)は、猫が踊ったという場所が地名になり、駅名にまでなったものだ。駅には猫をモチーフにした照明や壁画があふれている。
伊豆半島の付け根の函南町では、猫の踊りの話をもとに、猫のメイクをしてみんなで踊るおまつり「かんなみ猫おどり」が1983年から開催されている。同じように民話を地域で盛り上げ、イベントにしていく動きが、あちこちで見られるという。
第4章:化け猫は、江戸の歌舞伎がつくった

では、行灯の油をなめ、姫君に化ける、あの化け猫のイメージはどこから来たのか。
徒然草の猫又は、ただの笑い話だった
猫が化けて人を襲うという話自体は、古くからある。『徒然草』にも猫又の話が出てくる。
ただし、それは噂だけの話だ。猫又に襲われたと慌てた法師に飛びついたのは、実は自分の飼い犬だった。「慌て者だね」という笑い話でしかない。
実際に化け猫っていうものが、今私たちがイメージするような、油をなめたり、女の人や老婆に化けたり、人間の姿で耳だけ猫とか、そういうのがイメージされてきたのは、江戸の歌舞伎の中の文化なんですね。
飯倉氏
怨霊芝居で、主役に躍り出た化け猫
江戸時代には、恨みを持った霊が出てくる怨霊芝居が盛んで、特に夏に上演された。
『東海道四谷怪談』のお岩さん、『番町皿屋敷』で皿を数えるお菊さん、『累ヶ淵』、『牡丹灯籠』。多くは、ひどい目にあわされて殺された女性の霊が、自分を殺した男たちに復讐していく筋書きだ。
一方で、それまで力を持っていた天狗や鬼といった妖怪は、歌舞伎にはほとんど出てこない。出てきても、義経を守る天狗のような脇役でしかない。
その中で、主役として急に活躍するのが化け猫だったんですね。江戸の歌舞伎芝居では、怪猫物といって、化け猫の芝居がすごく流行ったんです。
飯倉氏
ただし、化け猫も純粋な猫の妖怪というわけではない、と飯倉氏は言う。お家騒動に巻き込まれて殺された飼い主の姫君の、無念を晴らすために化け猫になる。半分は幽霊なのだ。
筋書きはおおむね決まっている。お家騒動で美しい姫君が殺され、飼い猫がその血をなめて、姫君そっくりの美女になる。敵方に入り込み、おなじみの油をなめたり、クイッ、クイッと猫招きのしぐさに手を動かして人を操ったりと怪しいことを重ね、最後はお家に忠義な武士の手で丸く収まる。
こうした怪猫物は非常に人気があり、歌川国芳もたくさん浮世絵にしている。
化け猫のたたりを鎮めるために猫を祀った寺社など、全国の猫の神様は次の記事で紹介している。
三大怪猫物と、一番人気だった「創作」
江戸の怪猫物には、三つの拠点があるという。
一番有名なのが、佐賀の鍋島の化け猫。地元にも伝承がある。二つ目が有馬の化け猫。そして三つ目が岡崎の猫だ。
佐賀も有馬も、江戸からは遠い。そこで、より身近な東海道五十三次の岡崎宿を舞台にした化け猫の話が作られた。ところが、この三つ目だけはとんでもないフィクションだという。
岡崎に化け猫の話はないんですよ。近くの岡部っていう宿場に「猫石」っていう石はあるんですけど、これも化け猫じゃなくて、猫っぽい形の石っていう街道の名物で。江戸からそこそこ近いあたりに化け猫の話が欲しいっていうときに、歌舞伎の中で創作しちゃったらしいんですよね。
飯倉氏
それでいて、三つの中で一番人気があったのは岡崎だった。江戸に近く、旅でなじみのある地名だったからだ。
一方、佐賀の鍋島家は、この評判を嫌がった。領内に歌舞伎の巡業が来たときには、化け猫の芝居を禁じた。ほかの土地では、舞台を京都の嵯峨、渡月橋のあたりに書き換え、「鍋島ではありません、京都の話です」とごまかして上演されることもあったという。
江戸の文化の中心は歌舞伎なので、その歌舞伎の中での化け猫の描かれ方というのは、後々までの猫のイメージに決定的に影響していったということだと思います。また歌舞伎の化け猫はその後、映画に受け継がれ、戦後まで続く「怪猫映画」というジャンルとなりました。
飯倉氏
油をなめる。超能力のように人を操る。猫の身体能力で、宙返りをする。歌舞伎の中の化け猫の所作が、そのまま、私たちの知る化け猫のイメージに受け継がれているのだ。
第5章:魔物か、かわいいものか――日本が見つけた猫の「かわいさ」
化け猫が怖がられた一方で、日本では猫は早くから「かわいいもの」でもあった。では、ほかの国では猫はどう見られてきたのだろうか。
ヨーロッパでは「魔女の使い魔」だった
ヨーロッパにも、ベルギーのイーペルの猫祭りのように、猫を扱う文化はある。ただ、猫が魔女と結びつけられがちだったのは、マイナス点だったという。
『魔女の宅急便』のキキも、黒猫のジジを連れている。その背景には、世界各地の「呪術師」のイメージがある。
呪術師は、この世のものではない知識を知る人だ。その知り方には、大きく二つの型がある。
一つは憑霊型。日本なら恐山で活躍するイタコのように、自分の中に死者の魂や神様を降ろして、あの世のことを教えてもらう。
もう一つが脱魂型。シベリアのシャーマンや南米の呪術師、そして古くはヨーロッパの魔女もそうだと思われていた。自分の魂を外に出し、鳥や猫などの小動物の形にして、あちこちをかぎまわることで、ほかの人やあの世のことを知る。
動物を自由自在に使って怪しいことをするっていうのが魔女の一つのイメージで、その使い魔の一つに猫がいた。そっと入ってきて、いつの間にか見ている存在っていうのが、使い魔だと思います。
飯倉氏
魔女は猫を使う、だから猫は魔物だ。かわいがるよりも先に、悪魔とつながっているという反キリスト教のイメージが邪魔をしていたのだという。
黒猫が日本と西洋でそれぞれどう語られてきたかは、次の記事で紹介している。
中国や韓国でも、猫は避けられていた
中国も事情は似ていた。経典を守る、ネズミから守るという面はあったものの、猫の野生味や不気味さが長く強く、どこか忌避されていたという。
韓国にも中国から「猫は魔物」という文化が入っていたため、猫をかわいがるようになったのは、ここ20〜30年ほどのことだと、飯倉氏は韓国の研究者から聞いたという。少し前までは、高齢の人の中にはまだ「猫は気持ち悪い」と言う人もいたそうだ。
今では、世界中で猫のかわいさに目覚めているらしい。飯倉氏が数年前にインドを訪れたときには、もともと猫を飼う文化はなかったが、今はみんなマンションで猫を飼っている、と聞いたという。猫の文化は、都市の文化として、現代に新たな広がりを見せている。
日本では、早くから「かわいい」の側面に注目して、盛り上げていった。それは、日本のかわいい文化の基礎がそこにあったのかな、というのはありますね。
飯倉氏
招き猫は、日本独自の縁起物
そうした中で、招き猫の意味も、だんだん世界的に知られるようになってきたのではないか、と飯倉氏は言う。台湾をはじめとする中華圏に加え、日系人の多いブラジルには、早くから広まったと聞いているそうだ。
猫の形の置物みたいなものは、他の文化でも作ったかもしれませんけれども、商売繁盛などの意味を明確に持たせて、寺社などにまつわって配布していくっていうのは、日本独自ですね。
飯倉氏
同じ寺社の猫でも、日光東照宮の眠り猫は彫刻として伝わってきた。左甚五郎の伝説と招き猫との違いは次の記事で紹介している。
第6章:縁起物はなぜ広まり、定着するのか
では、招き猫はどのようにして「福を招く猫」として広まっていったのか。飯倉氏の話は、商売の神様の成り立ちにさかのぼる。
商売繁盛の神様は「借りてくる」
商売繁盛の神様は、農耕や漁労の神様よりも遅れて発達してきた、と飯倉氏は言う。農耕が発達しなければ、商売もないからだ。
商売繁盛の神様を何に頼ろうかっていうと、すでにある五穀豊穣とか大漁の神様を借りてくるんですよね。農村から借りてきたらお稲荷さんだし、大黒様だし、海から借りてきたら恵比寿様だ、ということで。
飯倉氏
同じように考えると、農村で蚕を飼うようになったとき、蚕をネズミから守る猫も、福の存在として考えられていった。
北関東から福島県、宮城県の南部にかけては、猫を大事にしてきた文化がある。上州(群馬県)では殿様の描いた猫絵にネズミを払う力があるとされ、宮城県丸森町には、養蚕で働いた猫を供養する石碑が数多く残っている。丸森町はそれを生かして町おこしもしているという。養蚕と関わって、猫を大事にしてきた文化があると考えられるそうだ。
東北には、猫そのものを祀る神社や石碑が今も残っている。宮城・丸森町の猫神さまなどは次の記事で紹介している。
稲荷の社で招き猫を授ける例は中部にもある。長野・飯田の冨士山稲荷神社などは次の記事で紹介している。
住吉大社の「初辰猫」
西日本で有名なのが、大阪・住吉大社の初辰猫だ。
毎月最初の辰の日に住吉大社へお参りする「初辰まいり」で、羽織袴を着た小さな猫の授与品を受ける。それを48体集めると、ひと回り大きな猫に替えてもらえる。交換を繰り返して、大きな猫になったら「上がり」だ。
日を決めてお参りする形式はたくさんあるが、交換していく授与品が猫であるというのが面白いところだと、飯倉氏は言う。大阪の商家の文化の中で、招き猫と組み合わさって、だんだんそういう形になっていったのだろうという。
流行り神から「定番」へ
縁起物は、どうやって広まるのか。鍵はご利益の評判だ。近世には「流行り神」という言葉もあるという。
今と同じように、あるところに行ったらご利益があったっていうと、みんなわーっと飛びつくんですよね。江戸っ子なんかは特に流行りが大好きなので、招き猫を飾ったらご利益があったなんていうと、じゃあうちもうちもって言って、みんなそこに飛びついていく。
飯倉氏
一時の流行りで終わってしまうものもある。しかし招き猫は、その中で定番として定着し、いろいろなバリエーションを生んで、文化になった。
飯倉氏は、その理由の一つにアレンジのしやすさを挙げる。猫に小判を持たせるのか、何を持たせるのか。近年は、だるまと同じように、色ごとに意味を持たせることも行われている。張り子や焼き物の縁起物の文化として、アレンジがしやすかったのではないかという。
そしてもう一つが、大きすぎないこと。お土産物としても、買って帰りやすい。
恵方巻と招き猫
縁起物が広まる道筋として、飯倉氏は恵方巻の例も挙げた。
恵方巻は、もともと大阪などの、ごく一部の家でしか行われていなかった行事だ。それを、広島のセブン-イレブンの店主が大阪で聞きつけた。
節分に巻き寿司を食べると運がよくなるらしい――そう自分の数店舗で仕掛けたところ売れたので、エリアマネージャーに報告すると、西日本で、そして全国で展開されることになったという。
もともとあった行事なんだけれども、まったく関係のない地域にまで、マーケティングによって広められていったっていうことですね。
飯倉氏
では、招き猫はなぜ全国に広まったのか。飯倉氏は、寺社参詣と結びついたお土産の力を挙げる。縁起物をお土産にするのは、よくあることだった。
お土産で広められていくと、気がつくわけですよね。なんかかわいいのがいるな、聞いたら招き猫っていう縁起物で、今、都の方ではこういうのが流行ってるらしい。じゃあ俺も都に行ったら買ってこようとか、都に行く人に頼んでみようとか。そういう感じで広まっていったのかな、っていうのはありますね。
飯倉氏
第7章:SNSの猫と、これからの「声」
伝説から世間話、そして都市伝説へ。最後に、SNSの時代に猫の「話」はどうなっていくのかを伺った。
猫が出てくる都市伝説は、ほとんどない
意外なことに、都市伝説の中で、猫はそれほど存在感がないという。猫の怖い面は注目されなくなり、かわいさの方に特化していった。
猫が関係する都市伝説で、一番多くの人に話されたのではないかと飯倉氏が挙げるのは、1990年代の話だ。
ある男が夜、車を運転していると、黒い子猫が道に飛び出してきた。ブレーキを踏んだが間に合わず、ひいてしまう。仕方ない、と走り続けていると、後ろから何かが近づいてくる。
バックミラーをのぞくと、大きな黒猫が子猫をくわえて、どんどん迫ってくる。さっきの子猫の親猫が、化けて出たのだ。男はアクセルを踏んで逃げるが、前の信号は赤。もうだめだ、とブレーキを踏むと、黒猫も後ろで止まった。
振り向いてよく見ると、ヤマト運輸の黒猫マークの宅急便トラックだった――。
怖い話かと思ったら笑い話だった、という肩すかしの話として、それなりに流行ったという。猫は執念深い、化けて出る、というイメージを利用してはいるが、結局のところ猫ではないので、怖い話でもない。
これを最後に、猫が出てくる都市伝説はほぼなくなった。代わりに広がるのは、「うちの猫がしゃべる」といった、本物の猫のかわいい動画だ。
SNSでの猫の扱いっていうのは、本物の猫の何かトピックが拡散されて、みんなに共有されるっていう形。だから、猫をもとにしたネットロアっていうのは、そんなにみんな必要としてないのかな。現実の猫のかわいいところが見たいっていう方が、みんな強いのかなっていう感じがしますね。
飯倉氏
肉声が、力を取り戻している
最後に、飯倉氏がこれから考えていきたいことを伺った。テーマは猫に限らず、「声」だという。
1930年代、柳田國男が民俗学をつくったとき、標準語が広められて方言が縮小し、このままでは地方の暮らしの中の声の文化がなくなっていく、という危機感があった。
近代化していく社会の中では、書いた文字や書類が大きな力を持つ。インターネットも、2000年代初めごろの2ちゃんねるの全盛期までは、基本的に書き文字の文化だった。
この十数年で、動画配信とかが力を持ってくる中で、声っていうものが、ある程度また復権している。誰もが声で発信できるようになってきたところで、声による文化っていうものが、形を変えて力を持ち始めているのかもしれない。
飯倉氏
見た目は、AIでもかなり作れるようになった。しかし声は、まだ分かってしまうのではないか、と飯倉氏は言う。声の形は再現できても、言い回しや間は、一回一回の生成ではなかなか追いつかない。
肉声の、いわばブレとか間とかっていうものが、コミュニケーションの中でどういうふうに求められているのか。それは、昔話の語りがなぜ人気だったのか、今でもそれをやってみたいと思う人が出たり、地域で伝えていくときに力を持っているのか、っていうことにもつながっていくのかなと思ってますね。
飯倉氏
招き猫の由来も、猫又屋敷や猫の踊りも、もとは誰かが誰かに語って聞かせた「声」の話だった。
家と外、二つの世界を行き来する猫は、福の顔と魔の顔をあわせ持ちながら、人から人へと語られる話の中を生きてきた。





