この記事でわかること
- 眠り猫は日光東照宮の国宝・東廻廊を飾る猫の彫刻
- 左甚五郎の作と伝わるが、作者を示す確かな記録はない
- 「日光」にちなむ説と、雀と組む平和の象徴という見方がある
- 招き猫とは生まれた時代も、人との関わり方も異なる
眠り猫は、日光東照宮で徳川家康の墓所へ続く門を飾る小さな猫の彫刻です。牡丹に囲まれて日を浴び、うたた寝する猫の姿で、国宝の東廻廊の一部になっています。
作者は江戸時代の名工・左甚五郎と伝えられてきましたが、辞典はその根拠がないことを指摘しました。眠っている理由についても、「日光」の地名にちなむ説と、雀と組んで平和を表すという見方があります。
東照宮の公式案内と文化庁のデータベース、辞典、研究所の取材をもとに、眠り猫の意味と招き猫との違いを整理しました。2026年10月時点の拝観時間と料金もまとめています。
日光東照宮の眠り猫とは
眠り猫は、栃木県日光市の日光東照宮で、奥宮へ通じる東廻廊の門の上に置かれた猫の彫刻です。まず場所と文化財としての位置づけを押さえ、そのうえで作者とされる左甚五郎の伝承をたどります。
眠り猫がある場所と国宝の指定
眠り猫は、陽明門の左右に延びる廻廊のうち東廻廊の、奥宮へ向かう入口の門に彫られています。東照宮の公式案内も、眠り猫の項に「これより奥宮に通じます」と記しました。
日光東照宮の眠り猫の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 日光東照宮の東廻廊(栃木県日光市山内) |
| 文化財の区分 | 国宝「東照宮 東西廻廊(東廻廊)」の一部 |
| 国宝の指定 | 1951年6月9日(重要文化財の指定は1908年) |
| 建てられた年 | 寛永13年(1636年)の社殿の造り替え |
| 作者 | 左甚五郎と伝えられる(確かな記録はない) |
| 先にあるもの | 徳川家康の墓所である奥宮 |
文化庁が公開する国の文化財のデータベースによると、東廻廊の国宝指定は昭和26年(1951年)です。門の部分も附(つけたり)として、あわせて指定されています。附とは、本体とあわせて価値を認められた付属の部分のことです。
そのため眠り猫は、単独の彫刻ではなく国宝の建物を形づくる装飾の一つとして守られてきました。奥宮は、東照宮が「御祭神のお墓所」と案内する場所です。
つまり眠り猫は、家康の眠る場所へ向かう参拝者がくぐる門の上にいるわけです。どこに置かれているかを知ると、ただのかわいい猫ではない理由が見えてくるでしょう。
作者とされる左甚五郎
眠り猫の作者として伝わるのは、江戸時代初めの宮大工・彫物師とされる左甚五郎(ひだりじんごろう)です。ただし辞典は、作者とする確かな根拠がないことを、そろって指摘しています。
デジタル大辞泉は、甚五郎を眠り猫の作者とする説明に「根拠はない」と添えました。精選版日本国語大辞典も、甚五郎が実在の人か否か不明だとしています。
改訂新版世界大百科事典によると、甚五郎の作と伝わる彫物は全国に多く残るそうです。すべてを一人の作とみなすと、甚五郎が何人もいた計算になるといいます。
一方で、四国高松の生駒家の記録には、寛永10年(1633年)ごろの大工頭として甚五郎の名が見えるそうです。
出典:改訂新版 世界大百科事典「左甚五郎」(執筆 西和夫、平凡社)
それでも左という姓や、禁裏の大工棟梁だったという話は裏付けられていません。同じ事典は、江戸の人々が優れた彫物を甚五郎に結びつけ、一人の英雄を生み出したと見ています。
日本大百科全書も、その高名は講談によって広まったものだと説明しました。だからこそ、眠り猫は「左甚五郎作と伝わる彫刻」と呼ぶのが確かな言い方です。
眠り猫の意味
眠り猫がなぜ眠っているのかには、東照宮自身の説明と、雀と組み合わせて読む見方があります。どちらも作られた当時の記録で確かめられたものではないため、言い伝えや解釈の一つと考えるのが無理のない読み方です。
「日光」にちなむという東照宮の説明
東照宮の公式案内は、眠り猫を「日光」の地名にちなんで彫られたともいわれると紹介しています。牡丹の花のなかで日差しを受けてまどろむ姿だからです。
東照宮によると、社殿に飾られた数多くの彫刻は、単なるデザインではありません。信仰のかたちや学問・思想が表されている、と東照宮は説明しています。
たとえば眠り猫と同じく名高い神厩舎の三猿は、昔から猿が馬を守るとされたことから、馬をつなぐ厩に彫られました。動物の彫刻には、置かれた場所とつながる意味が込められているのです。
一方で眠り猫は、日の光と猫の寝姿を重ね、土地の名前そのものを形にしたと伝わります。観光庁の多言語解説文も、眠り猫を日光のシンボルの一つに数えました。
雀と組む平和の象徴という見方
眠り猫には、雀と組み合わせて平和を表しているという見方もあります。この読み方を示す一冊が、高藤晴俊氏の『東照宮再発見 謎と不思議』です。
同書には、「眠り猫と雀 平和のシンボル」と題した項があります。栃木県立図書館がレファレンス協同データベースで紹介した内容によると、この項は眠り猫と雀を写真つきで取り上げています。
出典:高藤晴俊『東照宮再発見 謎と不思議』(栃木新聞社、1990年)
雀を捕るはずの猫が眠っている姿を、争いのない世の象徴として読むわけです。東照宮の由緒も、家康が260年続く江戸時代の平和の礎を築いたと記しています。
しかも眠り猫と雀の組み合わせは、栃木県を代表する図柄にも選ばれました。造幣局によると、地方自治法の施行60周年を記念した栃木県の500円貨は、表の図柄が「眠り猫と雀」です。この貨幣は平成24年(2012年)の銘で造られました。
つまり雀と組む平和の読み方は、地元を象徴する図柄になるほど広く親しまれてきたといえるでしょう。ただし彫った人が平和を意図したと示す記録はないため、解釈の一つにとどめておくのが確かでしょう。
修理で問われた「眠っているか」
眠り猫は、修理のたびに塗り直されてきた彩色の彫刻でもあります。栃木県立図書館の調べでは、東照宮が刊行した記録に二度の修理が記されています。
戦後の「昭和の大修理」で東廻廊を中心とする廻廊が直されたのは、1951年度からです。このとき眠り猫も一度外され、彩色を塗り直されました。次の修理は2016年度で、東照宮によれば1957年以来となる彩色の修理です。
この修理は公益財団法人日光社寺文化財保存会が6月に始め、眠り猫は同年11月28日に元の場所へ戻りました。ところが地元紙の下野新聞は、修理後の眠り猫が薄目を開けたように見えたと報じています。
出典:下野新聞 2017年6月20日1面「東照宮の国宝/「眠り猫」再び“熟睡”/薄目に修理後1カ月半/図面存在せず 再検証」
同じ記事の見出しによれば、創建当時の図面が残っていなかったため再び検証され、眠り猫は目を閉じた姿に戻されました。だからこそ眠り猫の表情は、今も人の目と手で確かめながら受け継がれているのです。
眠り猫と招き猫の違い
眠り猫と招き猫は、どちらも縁起のよい猫として語られてきました。ただし建物に据えられた彫刻と、家に迎える縁起物という大きな違いがあります。生まれた時代と姿を比べると、二つの猫の役目がはっきりします。
生まれた時代と役目の違い
眠り猫が飾る東廻廊の年代は寛永13年(1636年)で、招き猫の確かな記録より200年余り古いものです。
研究所の資料室の年表では、招き猫という名前と手招きの姿が確かめられる早い例を、嘉永5年(1852年)としています。浅草の今戸焼の土人形で、丸〆猫と呼ばれました。
眠り猫と招き猫の比較
| 比べる点 | 眠り猫 | 招き猫 |
|---|---|---|
| かたち | 東廻廊の門を飾る木の彫刻 | 土人形・陶磁器・張子などの置物 |
| 時代の手がかり | 飾る東廻廊が寛永13年(1636年)の建物 | 嘉永5年(1852年)の丸〆猫が確かな早い例 |
| 姿 | 牡丹の下で目を閉じてうたた寝する | 片手や両手を挙げて手招きする |
| 人との関わり | 東照宮を訪ねて見上げる | 寺社で授かり、家や店に迎える |
| 語られる意味 | 「日光」にちなむ説、平和の象徴という見方 | 右手は金運、左手は人招き(研究所の定義) |
| 作り手 | 左甚五郎と伝わる(確かな記録はない) | 今戸・常滑・瀬戸など各地の産地 |
表のとおり、眠り猫は東照宮という一つの場所から動かない猫だといえるでしょう。対して招き猫は、寺社の授与品や産地の焼き物として数多く作られ、人の手で家や店へ運ばれてきました。
飯倉義之氏(民俗学)は、研究所のインタビューで招き猫の広まり方に触れています。寺社にゆかりを持たせ、商売繁盛の意味を込めた猫の置物を配る文化は、日本ならではだという指摘です。
飯倉氏は、大きすぎず、お土産として持ち帰りやすい点も、招き猫が広まった理由に挙げました。
そのため眠り猫は訪ねて会いに行く猫、招き猫は暮らしの中に迎える猫と分けると、違いをつかみやすくなります。招き猫の手の左右にこめる意味は、研究所の定義として別の記事で整理しました。
眠る猫と招く猫の姿
眠り猫と招き猫の違いは、猫が何をしている姿をかたどったかにも表れています。眠り猫が日なたでまどろむ姿なのに対し、招き猫は前足を挙げて人や福を呼ぶ姿です。
山本陽子氏(美術史学)は研究所のインタビューで、猫の役立ち方に触れました。猫は犬のように番をするわけでも、馬のように荷を運ぶわけでもないという話です。
山本氏は、役に立たないことがかえって異界とのつながりを感じさせ、縁起物になった理由かもしれないとみています。
その目で見ると、うたた寝する猫を彫った眠り猫も、働かない猫の姿に願いを託した点で招き猫と通じ合います。ただし眠り猫は建物を飾る彫刻として、招き猫は持ち帰る人形として、別々の道で親しまれてきました。
あわせて押さえたいのが、猫が町で放して飼われるようになった時代です。資料室の年表によれば、慶長7年(1602年)に京都で猫の綱を解き、放して飼うよう求める高札が出されています。
眠り猫の東廻廊が建てられた寛永のころは、この高札から30年余りのちにあたります。町で見かける猫の寝姿だったからこそ、参拝者にも親しみやすい彫刻として愛されてきたのでしょう。
眠り猫が東照宮の建物とともに守られてきたのに対し、招き猫は家や店に迎えて、毎日そばに置く縁起物です。手元に置く一体なら、どこの産地で誰がつくったのかまで知ってから迎えたい、という人も少なくないはずです。招き猫研究所を運営する株式会社日本招き猫総合研究所では、瀬戸焼の招き猫「Luxen Maneki」を手がけています。
金彩を描き入れるのは、伝統窯の職人の一体ごとの手仕事です。
眠り猫の置物に込められる意味
眠り猫をかたどった置物の意味は、東照宮の眠り猫に重ねられてきた読み方から考えるのが確かです。招き猫のように、手の左右や色ごとの意味を、研究所の定義として定めてはいません。
置物として迎えるときの読み方
眠り猫の置物に託せるのは、穏やかに休める日々と、争いのない暮らしへの願いです。研究所はこれを、東照宮の眠り猫に重ねられてきた二つの読み方から導いています。
一つは、日の光を浴びてうたた寝する姿を「日光」に重ねる東照宮の説明です。もう一つは、雀と組んで平和を表すという見方で、どちらも眠っていることそのものに意味を見いだしています。
一方で招き猫は、手を挙げて福や客を呼び寄せる縁起物です。眠り猫が今ある穏やかさを表すのに対し、招き猫は外から福を招く役目を担うと考えると、二つの違いがはっきりします。
ただし、眠り猫の置物を持てば暮らしが穏やかになると約束できるものではありません。由来を知ったうえで、自分の願いを重ねて飾るのが、縁起物との自然な付き合い方でしょう。
本物の猫の寝姿やしぐさにまつわる言い伝えは、別の記事でまとめています。猫を神として祀る寺社の話とあわせて読むと、日本で猫がどんな願いを背負ってきたかがつかめるはずです。
眠り猫を見に行くには
眠り猫は、日光東照宮の拝観券で入れる区域にあります。東照宮は、拝観区域の一つとして「東廻廊(眠猫)」を挙げました。
拝観時間と料金
2026年10月時点で、日光東照宮の拝観時間は季節によって閉門の時刻が変わります。料金と拝観区域は、次の表のとおりです。
日光東照宮の拝観時間と料金(2026年10月時点)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 拝観時間(4月1日〜10月31日) | 午前9時〜午後5時 |
| 拝観時間(11月1日〜3月31日) | 午前9時〜午後4時 |
| 受付の終了 | 閉門の30分前 |
| 東照宮単独拝観券(個人) | 大人・高校生1,600円、小・中学生550円 |
| 拝観区域 | 表門から陽明門・拝殿・石の間・東廻廊(眠猫)・奥宮・本地堂(鳴龍)など |
出典:日光東照宮 公式サイト「拝観時間・料金」(2026年10月22日確認)
ただし祭典や修理工事によって、一部の拝観が制限される場合があると東照宮は案内しています。最新の案内は、訪ねる日が近づいたら公式サイトで確かめてください。
眠り猫の見つけ方
眠り猫は、東廻廊の門の上を見上げると見つかる小さな彫刻です。観光庁の多言語解説文も、眠り猫を東回廊の上で眠る小さな猫として案内しています。
奥宮へ向かう入口で門の上に目を向けると、牡丹に囲まれて眠る猫が見つかります。この門を抜けた先が、家康の墓所である奥宮です。
東照宮へは、浅草から東武鉄道の特急で東武日光駅まで約1時間50分と、公式サイトは案内しています。車の場合は日光宇都宮道路の日光ICから約2kmで、東照宮大駐車場は普通車1日600円です。
つまり眠り猫は、奥宮への参拝とあわせて訪ねるのが自然な見方といえます。招き猫ゆかりの寺社にも足を延ばしたい人は、地域別に寺社を紹介した記事が役立つでしょう。
よくある質問
Q. 眠り猫はお守りですか?
A. 日光東照宮の眠り猫は、国宝の東廻廊の門を飾る彫刻で、授かって持ち帰るお守りではありません。東照宮は「日光」にちなんで彫られたともいわれると紹介しています。眠り猫をかたどった置物は、その由来を知ったうえで、穏やかな日々への願いを重ねて飾るものと考えるとよいでしょう。
Q. 眠り猫と三猿は同じ場所にありますか?
A. 別の建物にあります。三猿はご神馬をつなぐ神厩舎に彫られ、眠り猫は陽明門の左右に延びる廻廊のうち、奥宮へ向かう東廻廊の門の上にあります。どちらも東照宮の拝観区域に入っているため、同じ拝観券で順に見て回ることが可能です。
Q. 左甚五郎の作と伝わる彫刻はほかにもありますか?
A. あります。改訂新版世界大百科事典は、東京の上野東照宮の竜なども甚五郎作と伝えられると紹介しました。甚五郎の作と伝わる彫物は全国に多く、竜が夜な夜な池の水を飲みに下りたといった伝説も残ります。ただしいずれも、甚五郎が彫ったと示す確かな記録はありません。
Q. 眠り猫は何年に作られましたか?
A. 眠り猫のある東廻廊は、寛永13年(1636年)に完成した社殿の造り替えで建てられました。文化庁のデータベースも、東廻廊の年代を寛永13年としています。眠り猫は、この東廻廊の門を飾る彫刻として国宝の指定に含まれています。
招き猫研究所がつくる招き猫「Luxen Maneki」
眠り猫は東照宮で会いに行く猫ですが、家にも由来を語れる猫を迎えたいと感じた人もいるのではないでしょうか。とはいえ招き猫は種類が多く、何を手がかりに選べばよいか迷うこともあるはずです。
瀬戸焼の伝統窯で一体ずつ生まれるのが、株式会社日本招き猫総合研究所の「Luxen Maneki」です。受注生産のため、仕上がりには約4〜6週間の時間をいただきます。
完成した一体は、湿気を吸っては吐く桐の性質を生かした特製の箱に納め、発送しています。
まとめ
眠り猫は、日光東照宮の国宝・東廻廊で、家康の墓所へ続く門を飾る猫の彫刻です。左甚五郎の作と伝わりますが、辞典はその根拠がないことを指摘しています。
眠っている理由には、「日光」にちなむという東照宮の説明と、雀と組んで平和を表すという見方があります。招き猫とは、記録に現れた時代も、人との関わり方も異なる猫です。
日光を訪ねるときは、奥宮への参拝とあわせて門の上を見上げてみてください。由来を知ってから会う眠り猫は、小さな寝姿の奥にある物語まで伝えてくれるはずです。





